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「辰巳用水」が国史跡に、「末浄水場園地」が国名勝に
平成22年2月22日、文部科学省は、辰巳用水を国の史跡に、末浄水場園地を国の名勝に指定しました。金沢市における国史跡指定は、平成20年度の「加賀藩主前田家墓所」、「金沢城跡」に続き、2年連続となり、国名勝指定は「成巽閣庭園」以来、実に81年ぶりとなります。 金沢市は、平成17年度から、辰巳用水の国史跡指定をめざしてさまざまな調査をおこなってきました。そして、平成21年7月、4年間におよぶ調査の成果をとりまとめ、歴史的、文化的において高い価値があるものとして、文部科学大臣あて国史跡として指定されるよう意見書を提出しました。 また、末浄水場園地については、平成20年7月に石川県内初の国登録記念物(名勝地)として登録されており、その独特の造形意匠は芸術上、観賞上高い価値があるものとして、同じく平成21年7月、文部科学大臣あて国名勝として指定されるよう意見書を提出しました。平成21年11月20日、国の文化審議会は、辰巳用水を国の史跡に、末浄水場園地を国の名勝に指定するよう文部科学大臣に答申、平成22年2月22日に官報にて告示されました。 金沢市では、今後も「歴史都市」の名に恥じないよう、皆様の深いご理解とご協力を得ながら、文化財の保存・継承に取り組み、歴史遺産を活かしたまちづくりを推進してまいります。
1.辰巳用水の概要 辰巳用水は江戸時代はじめの寛永9年(1632)(寛永6年説もあります)に、加賀藩が造営した、延長約11kmにおよぶ用水です。造営目的は、金沢城の防火機能の向上、水堀化による防御機能の向上、城内庭園の泉水供給などと考えられており、設計・施工には小松の町人板屋兵四郎が登用されたと伝えられています。 取水口は犀川上流の現上辰巳町地内に設けられ、江戸時代後期に2度、上流部に付け替えられました。上流部は主に隧道(ずいどう)、中・下流部は開渠(かいきょ)となっており、最下流部では現在の兼六園から百間堀で隔てられた金沢城へ導水するために、木樋(のちに石管に改修)を埋設した、いわゆる「逆サイフォンの原理」を利用していました。これまでの調査で、隧道を構築した技術水準の高さが明らかになったほか、隧道に並行する開渠跡や、用水法面を保護する「三段石垣」などがみつかっています。 このように辰巳用水は、江戸時代の土木技術を知る上で貴重であることから、上流部、中流部を中心とした延長約8.7kmが国史跡として指定されました。
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 隧道内部(上流部) |
|  三段石垣(上流部) |
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2.末浄水場園地の概要 末浄水場は、江戸時代に造られた寺津用水から分水することによって、昭和5年(1930)に開設された金沢市の最初の浄水施設で、現在も当時の施設が稼働しています。特に、昭和7年(1932)に完成した浄水場の中央の空間は、噴水を伴う東屋および幾何学的な意匠を持つ泉水で構成された前庭となっており、浄水場全体の計画軸線および造園的意匠をさだめる基点となったことに特徴があります。末浄水場は、浄水場に水を導き入れるラインである「導水軸」と、水をきれいにする過程で送り出すラインである「送水軸」が直交しており、その交点に前庭の東屋が配置されています。前庭の意匠は軸線を中心に左右対称で、浄水場全体の計画と前庭の造園意匠に深い関係があったことが明らかとなっています。 このように末浄水場園地は、泉水・噴水施設・東屋からなる前庭が、浄水施設の計画軸線を定める上で重要な基点となったこと、浄水場全体に張り巡らされた水の機能的な浄化経路において象徴的な意義を持っていたものと考えられ、近代的な造園意匠を取り入れた末浄水場の園地としての芸術上、観賞上の価値が高いことから、末浄水場の全体と前面の取付道路が国名勝として指定されました。
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 末浄水場園地全景(赤線の範囲) |
前庭全景 |
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