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金沢市

 
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現在位置:トップの中の観光情報の中の金沢の伝統文化から加賀料理の歴史背景
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加賀料理の歴史背景

加賀料理

地の利が育んだ食文化

日本の伝統文化は大陸の文化を基盤としていますが、それは現在の日本料理も同様です。主食であるお米はもちろん、懐石料理を生み出した茶も大陸から伝わりました。古代に中国や朝鮮から伝来した食が和風化し、今日の日本料理につながっています。石川県は、かつて、大陸から伝わってくる食の窓口でした。奈良・平安時代には、渤海と律令国家の交流が盛んに行われ、加賀や能登は大陸の食文化の玄関口だったのです。

また、中世から近世にかけて、石川県は北前船の拠点でした。当時、北前船は日本海の物流の担い手として大活躍しましたが、これによって石川県には全国各地の物品が運ばれてきました。

さらに、海と山に恵まれた石川県は、昔から新鮮な食材を豊富に確保できる自然環境を備えていました。日本海の新鮮な海の幸。霊峰白山を源とする水のうまさ。山々で採れる山の幸。加賀平野が生み出す野の幸。そんな豊かな食材にあふれた地域なのです。

大陸から伝来した食文化。全国各地から集まる物品。地元の恵まれた食材。そんな三つの“地の利”が歴史的基盤となって、金沢独特の食文化が育てられ、加賀料理につながっていきました。

京風と江戸風の融合

前田利家像

具体的に金沢の食文化の歴史背景を紐解くと、「京風と江戸風の融合」ということが見えてきます。
金沢が歴史の表舞台に登場したのは戦国時代。一向宗の総本山である本願寺が加賀支配の拠点として、金沢御堂を現在の金沢城公園に設置した時でした。金沢御堂を中心に寺内町が形成され、それが金沢の町の原型になったのです。そこには関西からの移住もあり、それに伴って関西の食文化が伝わってきました。当時、本願寺の影響力が絶大であったことからも、金沢の生活全般が京風になっていったのです。

一向宗の支配は織田信長の登場によって終わりを告げましたが、その後も、豊臣秀吉の影響下でさらに京風の食文化が育っていきました。秀吉と親交が深かった金沢城主・前田利家は、能や茶を愛好し、秀吉をもてなす宴では、京風の料理で接待したと言われています。藩政時代に入ってからも三代利常や五代綱紀など、文化政策を推し進めた藩主によって、金沢城下には京の文化がしっかりと根付いていきました。

金沢城公園

雑煮

一方、江戸時代には、儀礼的なことに関しては徳川幕府に準じていたため、江戸の武家風の習慣も入り込んできました。そのため、京風と江戸風の食文化が次第に融合していきました。今でも、正月のお雑煮は、藩政時代以前からある土着の家では京風の丸餅を、藩の御用商人や武士を祖先とする家では関東風の角餅を使っていますが、それは京風と江戸風が混在した名残なのです。

加賀料理メニュー

お問い合わせ先

経済局 営業戦略部 観光政策課
電話番号:076-220-2194
FAX番号:076-260-7191
kankou@city.kanazawa.lg.jp

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