1665年(明歴元年(めいれきがんねん))に、初代大聖寺(だいしょうじ)藩主(はんしゅ)前田利治(まえだとしはる)の命令で、江沼郡九谷村(えぬまぐんくたにむら)(現在(げんざい)の山中町九谷)の窯(かま)で作られたところから、九谷焼と名前がつきました。しかし、50年ほどで窯は廃止(はいし)されてしまいました。
それから約100年後、京都の青木木米(あおきもくべい)という名人が、卯辰山(うたつやま)に春日山窯(かすがやまがま)を作ったのをきっかけに、新しい窯が次々に生まれました。明治初期には九谷庄三(くたにしょうぞう)の金襴手(きんらんで)という技法(ぎほう)が主流になりました。
九谷焼の特徴(とくちょう)は五彩(ごさい)とよばれる、赤、黄、緑、紫(むらさき)、紺青(こんじょう)の見事な色合いと豪快(ごうかい)で美しい絵模様(えもよう)に表れています。美術(びじゅつ)工芸品としても、国内外で有名です。
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