1600年(慶長5年)利長は、関ヶ原(せきがはら)の戦いで家康の味方につき、領地(りょうち)を取り上げられずにすみました。しかし、謀反の噂はなくなりませんでした。そこで、徳川方の大名として生きていくことをはっきりさせるために、利長のあとつぎと決められていた利常(としつね)と2代将軍(しょうぐん)徳川秀忠(ひでただ)の次女珠姫(たまひめ)(当時3歳(さい))が結婚(けっこん)することになりました。
1605年(慶長10年)利長は、弟の利常にあとをつがせて隠居(いんきょ)しました。3代藩主利常は、加賀(かが)、能登(のと)、越中(えっちゅう)の3か国を治める大名になりました。
利常は、幕府(ばくふ)との友好関係を作り、前田家をつぶさないように努力しました。また、文化・工芸政策(せいさく)にも力を入れました。これが加賀百万石といわれる時代のもとになり、引きつがれていきました。
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