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金沢市

 
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金沢の文化的魅力発信③

『天空の激変とまちの規模』  村松 友視

muramatsu
村松 友視

 金沢が、その特徴的な天空のけしきの変化と、天の配剤ともいうべき絶妙なまちの規模の組合せによってなりたっていることを、ある時期から強く感じるようになった。
 金沢では、晴、曇、雨、風、霰(あられ)、雹(ひょう)、霙(みぞれ)、雪、雷など一年じゅうの天気を一日のうちに味わうことができる・・・と、金沢の友人に自慢げに言われ当初は首をかしげたが、何度か金沢へ通いつめた今となっては、その言葉にはうなずかざるを得ぬ気分になっている。
 弁当忘れても傘忘れるな・・・の箴言にあらわれるように、急変する天候は金沢での暮らしにとって、大いなる厄介のひとつではある。ただ、その気まぐれ的激変をともなう天空のけしきが、金沢人に独特の打たれ強さを植えつけてきたようにも思われるのだ。どのような事態にさらされても、それにたじろぐことなく柔軟性をもつエネルギーで受け入れ、自己流に咀嚼する、金沢人らしいセンスは、激変を常とする天候に洗い込まれる日常と、どこかでつながっているのではなかろうか。
 冬に入る季節の雷を、その恐ろしさを感じつつ“鰤起こし”と呼び、「さあ、いよいよ鰤が獲れる頃や」と受け止めるあたりからも、金沢人特有の打たれ強さをベースとしたしたたかな気分を感じさせられるのだ。
 「雷」は、一般的には夏の季語となっているが、金沢の雷は“鰤起こし”と結びついている。季語にいたずらを仕掛けるがごときこの冬の空模様を、金沢人は加賀百万石の城下町らしい食文化ともかさねて、悠然と打ち眺めるセンスをはらんでいるように思われるのだ。
 また、金沢出身の作家である泉鏡花が生み出す虚と実、光と闇、善と悪、日常と非日常、生と死などの溶け合いやにじみ合いも、激変を特徴とする天空のけしきに日常の中で馴染む金沢人の感性と、無縁でないような気がするのだ。
 文壇の主流となった自然主義文学から吹く逆風にさらされる憂き目にさいしても、あがき苦しみ屈伏するという筋道にいたらず、大衆文化の美意識との交流の中で、新たなる色彩を次々と生み出し、自己の世界を堅持する柔軟な強靱さ、そしてその作品の不滅ともいえる生命力を思いかさねるたびに、私は激変する天空のいたずらを飼い馴らす、金沢人の比類ない精神力とつなげてしまうのだ。
 その鏡花の生家にほど近いところにある久保市乙剣宮(くぼいちおとつるぎぐう)の境内にしばしたたずんだあと、本殿横の、かつては主計町への隠れ道であり、日常の生活から非日常的遊び空間への花道でもあった「暗がり坂」を下りれば、そのまま主計町茶屋街の路地へとみちびかれる。
 往年のよすがにひたりつつ路地を散策するうち、向こうからはしってくる木の葉を巻き込んだ風に気を取られ、ふと道に迷ったかのごとき気分にそそのかされる。我に返ってよけた風の行方を追って歩けば、いきなり浅野川沿いのひらけた風景に迎えられる。このように、金沢の求心的魅力と遠心的立地条件の妙を瞬時に味わうことができるのも、金沢を歩く醍醐味というものだろう。
 そういえば、金沢のまちは車で移動するより、歩いて楽しむべしという言葉を聞いたことがあった。かつての百万石の城下町も、現代の巨大都市にくらべれば、まことにコンパクトな規模に仕立上がっている。パリの石畳に車より馬車が似合うように、金沢のまちの移動には、“歩き”がふさわしいようだ。
 片町交差点の現代的喧騒から少し歩けば、西茶屋街の風情や寺町特有のたたずまいに出会うことができる。その界隈から遠からぬところに21世紀美術館があり、幅広いジャンルの現代アートにつつまれる。そこからしばらく歩けば鈴木大拙館があったりして、それぞれの色合いが、近距離の中で絶妙に組み合わされてもいるのだ。
 近ごろ、鈴木大拙館に凝っていて、金沢を訪れるときの外すことのできぬ場所となっている。私の知的レベルゆえ、鈴木大拙の仏教哲学世界に踏み入るというのではなく、鈴木大拙館の造形ぶりに惹かれてのことなのだが、あの水を張った中庭のごとき空間には、四季それぞれの趣の移りかわりがあり、朝と昼と夕方でさえも微妙にちがう感慨にひたらされる。その水面の模様などは、風が吹くたびに別の貌(かお)をつくりつづけ、見ていて飽きることがない。
 ただ、水面の波紋の変化を楽しんでいるうち、つい鏡花文学の手招きをおぼえ勝手な妄想に耽ったりして、禅の世界とはほど遠いよこばいをすることがある。鏡花と大拙・・・この二人の巨人の領域がそんな不埒な連鎖を生んでしまうのは、私の宿痾ともいうべき意識のよこばいゆえなのだろう。さらに私は、頭の中で交錯する両極の巨人への微熱を肴にして、新天地の居酒屋で、燗酒を楽しんだりしているのだから始末が悪い。
 だが、この不埒なよこばいもまた、天空のけしきと、天の配剤たる絶妙なまちの規模の組み合わせが生む、金沢ならではの贅沢というところへ落とし込んでしまうというわけで、金沢の知的真価に爪をかけることなど、私にはとうていおぼつかぬというわけである。
 

村松 友視 (むらまつ・ともみ)
東京都生まれ。慶應義塾大学卒業。中央公論社編集部を経て作家となり、『時代屋の女房』で第87回直木賞を受賞。『鎌倉のおばさん』で第25回泉鏡花文学賞を受賞。著書に『私、プロレスの味方です』『幸田文のマッチ箱』『百合子さんは何色』『アブサン物語』『俵屋の不思議』『残月あそび』『アリと猪木のものがたり』など多数。泉鏡花文学賞選考委員。

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文化スポーツ局 文化政策課
電話番号:076-220-2442
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