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金沢市

 
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現在位置:トップの中の観光情報の中の金沢の伝統文化から獅子舞とは-1
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獅子舞とは-1

獅子頭

金沢では約200の町内会が約230頭の獅子頭を持っています。その多くは桐材で、白木のほかに漆塗りで金箔を施したものや、皮、羅紗(らしゃ)を張り付けしたものなどがあります。頭上の角。左右の大きな耳。渦巻状に彫られた大きな眉。鋭くにらみつける目玉。デフォルメされた大きい鼻。真鍮打ち出しの牙や歯。それらを見ていると、いまにも動き出してきそうな気がしてくるほどです。

獅子頭は近世後期から明治中期にかけての作品が多く、主な制作地は金沢、越中の井波、そして、近年になって石川郡鶴来町でも作られました。幕末の科学者であり、“からくり師”として有名な大野弁吉をはじめ、古くは沢阜(さわおか)忠平、武田友月、荒木乗寛、同寛永、同乗階、松井乗運などが腕をふるっており、新しくは三階千嶺、向正運らが獅子頭を手掛けています。獅子頭は、職人の技が発揮された伝統美術工芸品としても大きな価値があるのです。

獅子頭にまつわるエピソード

幸町の沢阜匪石(さわおか・ひせき)が制作した「義侠の獅子」は、明治中期、ある穀商の土蔵に保管されていましたが、丑三時になると、異様な泣き声を立てたと言われています。祭壇に獅子を祀り、神主を招いて鎮魂祭を催したところ、その泣き声は消えたそうです。また、大野弁吉が制作した小立野三丁目の「皮獅子」は、大正初期、蔵にしまわれていたところを盗賊に狙われましたが、その鋭い眼光で盗賊をにらみつけ、追い払ったと伝えられています。

頭持ち

頭持ち

獅子頭を持つ役割を頭持ち、もしくは頭ふりといいます。容姿は、黒半襟の縮緬の半天を着用し、腰の前には相撲の化粧まわしのような懸帯をかけます。この頭持ちを中心として、左右に懸帯前と呼ばれる交代要員が七、八人並びますが、これは町内の青壮年が交替して務めることになっています。

棒ふり

真剣や槍などの棒ふりの道具

棒ふりは、シャンガンという毛頭をかぶり、刺子じゅばんに裁付袴(たっつけばかま)、白足という姿で、棒や薙刀(なぎなた)、太刀などの執り物を持って獅子に立ち向かいます。執り物はその他に、鎖鎌、尺八、白玉棒、槍、十手、二つに割れるチキリキ、戸水町と才田町の青龍刀なども見られます。一人が獅子に対する場合は一人棒といい、二人の場合は二人棒もしくは合わせ棒と呼びます。さらに、三人棒、五人棒という地域も見られます。

獅子を打つ棒ふりの様子

獅子を打つ棒ふり

執り物を手にした棒ふりは、ぐるりと四方を回り、獅子に向かって構えながら「ヤァーッ」と鋭い気合いをかける。これに応じて懸帯前が「ヨーッ」と叫ぶ。一進一退して棒ふりは獅子を威嚇。獅子は頭を上段、中段、下段、あるいは左右に振り、棒ふりが突進する。棒ふりは獅子の直前で「ヨイヤーッ」と叫び、とどめをさす。その瞬間、獅子はぐったり頭を下げる。めでたく獅子をしとめ、周囲の見物客から歓声が上がった。

棒ふりの流派

棒ふりの流派

金沢の加賀獅子の最も大きな特徴といえる棒ふりは、各種武芸を芸能化したものです。棒術や剣術、薙刀をはじめ、柔術、居捕りなどが応用されています。それらの武芸には流派があるように、棒ふりにも流派が生まれました。獅子舞の最盛期には約40もの流派があったとされています。中でも、最も有名なものが土方流と半兵衛流でした。土方流は、山の上町に道場を構えていた浪人の土方常輔と同惣右衛門らが、武芸を応用した棒ふりを指導したことにはじまり、主に浅野川以北で広まりました。半兵衛流は、地黄煎(じおうぜん)町(現在の泉が丘二丁目)に道場を構えていた町田半兵衛が生み出した流派で、柔術や薙刀、居合、鎖鎌などに工夫を加えて編み出され、主として犀川以南で行われていました。その他の流派としては、柳川流、出雲流、玉田流、合羽流、長尾流、新陰流、大島流などがあり、新しい流派として天神真揚流があります。

獅子舞メニュー

お問い合わせ先

経済局 営業戦略部 観光交流課
電話番号:076-220-2194
FAX番号:076-260-7191
kankou@city.kanazawa.lg.jp

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