坂戸米穀店

指定保存建造物:坂戸米穀店(さかとべいこくてん)

坂戸米穀店の詳細
所在地 金沢市春日町11-28
指定保存建造物 平成19年4月23日指定

坂戸家は、春日町地内の旧北国街道に面して建つ旧家で、藩政時代の「大樋の松門」跡に近接しています。文化8年(1811年)の「金沢町絵図」において同所に鍛冶坂戸屋吉兵衛の名が見え、3代目から米穀商を家業とし現在に至ります。
店舗は坂戸家の家伝によれば約200年前に焼失し、その後再建されたと云われ、文献資料「石川県災異誌」によれば弘化3年(1846年)に大樋まで類焼した大火のあったことが知られます。建築年代は、その意匠・構造の特徴を併せて考慮すると江戸後期の建築と推定されます。
建物は正面柱間5間(桁行9.17メートル)の間口ですが、柱間3間と2間の2棟の建物を1棟として利用する特徴的な形態をとっています。袖壁がそれぞれの柱間の両端に付くことから、外観は一見すると別々の建物に見えます(以下、正面左から柱間3間を「左棟」、残り柱間2間を「右棟」とします)。坂戸家には藩政時代の春日町の町図が伝えられており、その絵図に坂戸屋次平と記載された敷地が見られ、その敷地形状から当初の坂戸家は「左棟」が主屋だったことが解ります。同絵図によれば、「右棟」部分は隣地で間口が倍以上の敷地として記載されていることから、この町図が作成された後(年代不詳)、敷地が分筆され、現在の「右棟」部分が形成されたと考えられます。坂戸家がその敷地(建物)を購入し、現在の同一棟として利用するようなかたちでの改築を行ったものと推定されます。
建物の表構えは町家の古い意匠を現在も遺しています。1階の各柱間に蔀(しとみ)が入ります。蔀は各柱間に上下2枚の板戸が入り、開口部内側の上部に収納する形式をとります。玄関部分の蔀にはくぐり戸が付きます。「右棟」東側の柱間一間は出格子状の形態ですが、これは約40年前に増築された部分であり、内側の柱間上部には蔀が収納されたまま残ります。1階板庇の下にサガリが付きます。板庇は、厚板を並べて突き合わせ部分を目板で押さえた古い様式で、サガリも直線形状の素朴な意匠です。2階壁面は土壁仕上げで各柱間に古格子が付きます。「右棟」は約40年前に動力精米機を設置するために建ち上げが行われており、2階正面を二重庇の形状で納めています。屋根は金属板葺きで天窓が付きますが、約20年前に板葺き石置き屋根を葺き替えたものです。「左棟」の軒先にはカザガエシが残されており、屋根の勾配とともに当初の名残を留めています。
建物1階平面は道路に面して間口全面を「店」とし、「左棟」西側の柱間一間をトオリニワとして「流し」、「蔵の前」に土間が続きます。トオリニワに面して「茶の間」、「茶の間奥の間」があり、茶の間上部は火袋の吹き抜けとなっています。茶の間東側に「6畳間」が続き、その北側に「座敷」が続きます。座敷は「土縁」が付き、土縁を介して中庭に面します。「蔵」は蔵の前を介して中庭に面します。流しには井戸、竈、石造の流しが残されていますが、上屋は昭和30年代初めに改築されています。2階は6畳間東に置かれた弁柄塗りの箱階段と茶の間奥の間に付く階段の2箇所より上がります。2階の道路に面する間口全面をアマとします。アマの「左棟」と「右棟」の境に壁の痕跡があり、当初別棟であったことを示しています。「左棟」には吹き抜け部分を介して奥に「4畳半和室」があります。「右棟」奥には「座敷二階」がありますが、約40年前に建ち上げて設けた室です。なお、これら各室名は現所有者からの聞き取りによるもので、当初からの室名であるかは不明です。
このように、坂戸米穀店は建築当初の外観をよく残し、金沢における藩政時代の町家建築の旧状を知ることのできる貴重な遺構です。また、当初からの敷地に現存する外観は、旧北国街道の雰囲気を感じさせる極めて貴重な景観です。

2階建て、出格子状の壁と二重庇の形状をした坂戸米穀店の全体を写した写真

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