尾崎神社豊受稲荷社社殿附御宮移転図巻
有形文化財 建造物
尾崎※神社豊受稲荷社社殿(おさきじんじゃとようけいなりしゃしゃでん)
附御宮移転図巻(つけたりおんみやいてんずまき)
※崎の「大」が「立」
| 所在地 | 金沢市丸の内5番5号 |
|---|---|
| 市指定文化財 | 令和7年3月21日指定 |
尾崎神社は、4代藩主前田光高が幕府の許可を受けて金沢城内北ノ丸に創建した東照宮で、寛永20年(1643)に完成しました。明治7年(1874)に尾崎神社と改称され、明治11年(1878)に現在地に移転し、本殿、中門、透塀、拝殿及び幣殿は重要文化財に指定されています。
豊受稲荷社は、尾崎神社の本殿北側に位置し、社殿は向拝付きの一間社流造です。建築年代は棟札や墨書が確認されていないものの、虹梁や木鼻などの様式から17世紀末頃と考えられます。
この社殿は、明治11年の城外移転時に「遷宮殿」として神座を遷す仮殿として境内南西隅に北向きに配置され、昭和10年(1935)から翌11年(1936)にかけて本殿北側の現在地に移転されました。
建物に残る痕跡から、明治11年の城外移転時には解体・再組み立てが行われ、昭和11年の敷地内移転は曳家によって実施されたと考えられます。
本殿内陣の宮殿正面に見られる三葉葵紋が豊受稲荷社社殿の四面の蟇股に存在することも、仮殿の可能性を示しています。また、仮殿は本来、正遷宮が完了すれば取り壊されるものですが、日光東照宮の御仮殿(重要文化財)のように、頻繁な修理によって仮殿が常設化した例もあります。
これまでは、明治11年の移転に際しての「御宮移転図巻」に城内にあった別社の記載が無いことから、移築されなかったと考えられてきました。しかし、前述の特徴などから、別社は城外移転の際に遷宮殿として使用され、その社殿が豊受稲荷社として残されたと推測されます。さらに、金沢東照宮の最も古い本殿修理は延宝5年(1677)であり、虹梁や木鼻などの様式からも、この時に建てられた可能性が高いと考えられます。
豊受稲荷社社殿は市内で数少ない17世紀後半に遡る社殿であり、金沢城内の金沢東照宮の一連の遺構として本市にとって貴重です。金沢東照宮の延宝5年の修営時の仮殿であった可能性もあり、常設化された仮殿として東照宮建築の特性を示すものとしても重要といえます。
加えて、城内立地時の建物配置や明治11年の移転による変化が読み取れる「御宮移転図巻」は、豊受稲荷社社殿が金沢東照宮の遺構であることを示す貴重な史料であり、建物と共に附指定されています。
尾崎神社豊受稲荷社社殿




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