専長寺本堂附棟札一枚・旧鬼瓦一対、松帆榭及び山門

有形文化財 建造物
専長寺本堂(せんちょうじほんどう)・鐘楼(しゅろう)附(つけたり)棟札一枚(むねふだいちまい)・旧鬼瓦一対(きゅうおにがわらいっつい) 松帆榭及び山門(しょうはんしゃおよびさんもん)

専長寺本堂附棟札一枚・旧鬼瓦一対、松帆榭及び山門の詳細
所在地 金沢市金石味噌𠄀屋町6番37号 専長寺 地図など(金沢市観光協会)
市指定文化財 【市指定文化財】平成21年10月1日指定

専長寺は浄土真宗大谷派の寺院で、波佐場次良左衛門堅周が加賀国戸水邑に無量寿寺を起こし、寛正6年(1465年)宮腰邑に移り仲之道場と称したことにはじまります。文明4年(1472年)本願寺八世蓮如より「法運専ら長久なるべし」として専長寺の寺号を賜りました。元は旧横町に寺地がありましたが、正徳元年(1711年)本堂を焼失し、3年後に再興された後、享保8年(1723年)再度火災に遭い、再興に際して横山家の屋敷地であった現在地を譲り受けました。享保16年(1731年)本堂が建立されましたが、その後再建されたのが現在の本堂です。

本堂

桟瓦葺で木造平屋の専長寺本堂の前に大きな松の木が植えられている写真

本堂は、正面桁行柱間9間・梁行柱間9間、寄棟造平入、桟瓦葺で、一軒半繁垂木、正面中央に向拝を付けています。本堂の建立年代は、棟札により寛政9年(1797年)です。
棟札には工期と工程の記載がある他、「大工棟梁」と並んで「作形絵図調之」、「彫師」の名が記されており、分業体制で工事が行われていたことがわかります。
本堂平面は、正面7間、奥行7間(実長7間半)の身舎を中心に、三方に入側縁、さらに落縁を廻らせ建具を入れて屋内に取り込み、側面と背面に廊下及び附属室を設けた構成となっています。身舎は正面から順に外陣、矢来内、内陣が並び、内陣は本間とその両脇の余間、飛檐の間から構成されており、典型的な浄土真宗の本堂形式に則っています。

松帆榭

床の間に書の掛け軸が飾られている茶室の写真

松帆榭は、専長寺本堂北側の土蔵に接して位置する茶室で、本堂・庫裡とは廊下で結ばれています。旧御塩蔵町にあった銭屋五兵衛隠居所の茶室を移築したものと伝えられており、安政3年(1856年)頃の移築と考えられます。
茶室は、手前より鞘の間、次の間、4畳半本勝手の席が並び、その左手に水屋を設けています。本席と次の間の露地側には土縁が付いています。茶室全体は桟瓦葺の大屋根で覆われていますが、土縁上の繊細な庇構造を積雪から保護するため、化粧屋根裏を大屋根の下に別構造で取り付けた構造にしています。

山門

頭部に丸みをつけて造形した破風の大きな屋根がある門構えで、桟瓦葺きで赤褐色の瓦で作られた塀がある専長寺本堂山門の写真

山門は、軸部が一間一戸控柱付き棟門の形式で、屋根は側面に唐破風をもつ平唐門です。正面向かって右手に潜戸付きの板塀が接続し、その続きと門向かって左手には腰を石積みとする築地塀が続いています。屋根は門、塀とも桟瓦葺きで赤褐色の瓦を葺いていますが、痕跡から門の屋根は当初、こけら葺きであったと推定されます。建築年代は江戸時代後期(18世紀末)と推定されます。
専長寺山門は市内に類例の少ない平唐門で、独自の構造形式を高い完成度でまとめ上げた優作です。

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