歴史のまちしるべ標柱一覧

あ行

あ行の一覧
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
旧芦中町 あしなかまち 藩政時代からの町名「足半町といふは並び短く、尻切れたる町なり」と伝えられ、はじめは足中町とも書く。のち芦中町と書いた。 金沢市
弥生1-31-27先
弥生1丁目
泉1・2丁目
3
旧穴水町 あなみずまち 加賀藩老臣、長氏の上級家臣らが住み、上家中町と呼ばれたが、長氏の祖先が能登の穴水城に居たことにちなみ、明治になって、この名がつけられた。 金沢市
長土塀1-51
長町3丁目
長土塀1丁目
94
油車 あぶらぐるま 藩政初期、油屋与助という油屋が、この地に水車をつくり、灯油などの製造をしていたことからこの名がついた。 金沢市
油車29
変更なし 46
旧荒町 あらまち 寛永年間には木ノ新保新町と呼ばれ、新しくできたのでこの名がついたといわれる。元禄の頃には荒町となっているが、荒町は新町の意であろう。 金沢市
此花町2-44
本町1丁目
此花町
堀川町
138
有松町 ありまつまち もと石川郡有松村の地内で、享保のころから次々と家が建ち、文政4年その一部が有松町と称され、金沢町奉行の支配となった。明治12年、金沢に編入された。 金沢市
泉3-6-46
有松2丁目
泉3丁目
1
旧安藤町 あんどうまち 藩政時代、鉄砲組頭、安藤長左衛門の組地があったので、この名がついた。また、あんどん町とも呼ばれた。 金沢市
石引3-7-56先
石引1・3丁目
宝町
40
池田町 いけだまち 蔵宿業の池田屋長右衛門が居住していた池田屋小路を、明治4年、池田町一番町と改名したことからこの名がついた。 金沢市
池田町三番丁5先
変更なし 45
旧石浦町 いしうらまち もと石川郡石浦庄下石浦村であったが、慶長年間、町地となりこの名がつけられた。城下町の本町の一つに数えられた。 金沢市
香林坊2-1-1
香林坊1・2丁目
片町1丁目
66
石引町 いしびきまち 藩政の初め、金沢城の石垣を築くため、戸室山から切り出した戸室石を引いて運んだ道筋であったのでこの名がついたという。いしびきちょうとも呼ばれた。 金沢市
石引4-3-1
石引1~4丁目
笠舞2丁目
平成12年4月1日
下石引町復活/44
写真を見る場合は次のリンク先をご覧ください。
下石引町
泉町 いずみまち もと泉野の地で、このあたりが北国街道筋であったため藩政の初めころから次第に家が増加し、この名で呼ばれた。明治22年泉町と泉新町に分けられ町名となった。 金沢市
泉1-3-8先
泉1~3丁目
弥生1丁目
野町4丁目
7
旧石屋小路 いしやしょうじ もと安江町横町と呼ばれていた。藩政初期、藩の御用を勤める石工たちが住んでいたところから、この名がついた。 金沢市
武蔵町16-5
武蔵町 113
旧板前町 いたまえまち 藩政の初めころ、藩の台所奉行に属する板前足軽組地であったので、この名がついたといわれる。 金沢市
天神町2-190
天神町2丁目 57
旧藺田町 いだまち 古くから、金沢地方でも広く藺(い)草を栽培して畳表を作っていたが、慶長以前頃から小松表を用いるようになったので、城下の作付は廃止された。当時このあたりは藺田であったため、これを町名としたという。 金沢市
元菊町1-4-3先
元菊町 102
旧一本松 いっぽんまつ もと笠舞一本松、小立野一本松とも呼ばれていた。片側町で、一方町といったのが、一本松になったともいわれる。 金沢市
笠舞3-15-9
笠舞3丁目、石引2丁目 27
茨木町 いばらきちょう 加賀藩士、禄高二千五十石の茨木氏の屋敷があったことから、この名がついた。 金沢市
茨木町25先
本多町3丁目(一部) 43
旧岩根町 いわねまち 藩政初期、馬術の名人岩根十蔵が開いた馬場があったので岩根馬場と呼ばれていたが、中期ころこの名がついたという。 金沢市
瓢箪町12-25
彦三町1丁目
瓢箪町
笠市町
134
旧上田町 うえだまち 文政6年、山の上町から分立したもので、かつてこの辺りが用水の上方にある田地であったことからこの名がついた。 金沢市
森山2-9-30先
森山2丁目 161
旧上野町 うえのまち もと石川郡上野村の村地で、馬坂や牛坂など坂の上の野であったことからこの名がついたといわれ、文政4年に町地に加えられた。 金沢市
小立野3-4-23
小立野3丁目 20
鶯町 うぐいすまち この地はかつて幽谷で、鶯が多く、鶯谷と呼ばれていたことにちなみ、明治になってこの名がついた。 金沢市
鶯町28先
変更なし 152
旧梅本町 うめもとちょう 廃藩直後、加賀藩の老臣一万八千石前田孝敬の邸地を東西に二分して作られた町で、その家紋「角の内梅輪」にちなんで、この名がついたという。 金沢市
大手町2-14
大手町 96
鱗町 うろこまち 藩政初期からの町名、新立町末うろこ町、犀川うろこ町、いろこ町などとも呼ばれた。当地に魚商が多く、鱗がよく見受けられたことによるとの伝承がある。 金沢市
鱗町112先
幸町(一部)
本多町3丁目(一部)
39
旧大隅町 おおすみちょう 加賀藩の老臣、長大隅守の家臣が、寛文期に能登から移り住んだところで、新(荒)屋敷、新家中と呼ばれていたが、明治になってこの名がついた。 金沢市
中橋町2-27先
中橋町 127
大手町 おおてまち 藩政時代は金沢城の大手口であったのでこの名がついた。大手先、小坂口とも呼ばれ、大身の武士が住んでいた。 金沢市
大手町2-27先
丸の内
兼六町
大手町
92
大樋町 おおひまち 昔大きな樋(とい)で水を引いていたことから大樋の名がついたという。この地はもと大樋村の村地であったが、藩政後期に町奉行支配地となり町地となった。明治の初め、この名が町名になった。 金沢市
大樋町8-24先
大樋町
春日町
鳴和1丁目
165
旧大藪小路 おおやぶしょうじ 藩政前期、加賀藩士、禄高七百石の大藪勘右衛門にはじまり、以降代々の居邸がこの付近にあったので、この名がついた。 金沢市
片町2-7-15先
片町2丁目 63
旧御歩町 おかちまち 藩政時代、藩主を警護する歩(かち)が住んでいたので、この名がついた。はじめ観音下御歩(徒)町などと呼ばれていた。 金沢市
東山1-20-3先
東山1丁目 148
旧小川町 おがわちょう 藩政時代は、川(河)端町、西養寺前、誓願寺前、玄門寺前などのまちであったが、小川に沿ったまちなので、明治の初め、上、下小川町に改められた。 金沢市
東山2-14-22
東山2丁目 154
旧桶町 おけちょう 藩政の初め、藩の御用を勤める桶職人たちが屋敷地を与えられて住んでいたので桶屋町と呼ばれていたが、元禄のころからこの名になった。 金沢市
尾張町2-5-10
彦三町1・2丁目
尾張町2丁目
117
旧御小人町 おこびとまち 藩政時代、藩主の行列の際にその身のまわり品の茶弁当、矢箱、提灯などを運ぶ御小人の組地であったので、この名がついた。 金沢市
扇町15-9先
扇町
横山町
暁町
71
旧御仲間町 おちゅうげんまち 元禄のころは、御馬屋町と呼ばれ、藩の馬の世話をする仲間の組地があったことからこの名で呼ばれた。 金沢市
元町2-4-42先
元町2丁目 160
旧大音町 おとうまち 藩政時代、加賀藩士大音主馬の下屋敷があったので、大音家中と呼ばれていたが、明治の初め、この名がついた。おと町とも呼ばれた。 金沢市
石引3-7-6
石引3丁目 41
尾張町 おわりちょう 前田利家の出身地尾張から来た商人を住まわせたのでこの名がついたといわれ、藩政期は金沢の経済の中心地であった。また一時期尾張からついてきた足軽、小者などが住んでいたとの説もある。 金沢市
尾張町1-11-8
尾張町1・2丁目 106

か行

か行の一覧
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
柿木畠 かきのきばたけ 寛永8年・12年の火災の教訓から、この一帯を火除地とするため、藩士の邸宅を移転させ空き地にし、柿の木を植えた。万治年間から再び藩士の邸地となったが、地名として残った。 金沢市柿木畠 広坂1丁目
片町1丁目
平成15年10月1日
復活/58
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柿木畠
旧柿木町 かきのきまち 三代藩主前田利常のときに火除地として城下の各地に柿木畠が設けられた。柿本人麻呂をもじり、柿の木のもとでは火が止まるに因んだといわれる。この地にも柿が植えられたが、後に町立てされてこの名がついた。 金沢市扇町8-40先 扇町
天神町2丁目
暁町
61
旧欠原町 がけはらまち 崖縁の通りであるため、藩政時代は笠舞がけ原、がけ片原町などと呼ばれていたが、のち、略してこの名がついた。 金沢市石引2-25-13先 石引2・4丁目
本多町1~3丁目
32
笠市町 かさいちまち 藩政時代、この付近に笠問屋がならび市がたち「加賀の菅笠」の名は諸国に広まり、笠市または堀川笠市と呼ばれた。のち、この名がついた。 金沢市笠市町8-3先 笠市町
此花町
143
旧鍛冶町 かじまち 三代藩主、前田利常から刀鍛冶等で宅地を給わったものが住み、はじめ安江鍛冶町と称されていたが、のち鍛冶町と呼ばれた。 金沢市此花町1-40 此花町
本町1丁目
彦三町1丁目
安江町
笠市町
143
主計町 かずえまち 大阪夏冬の両役に功をたてた加賀藩士、富田主計の邸地があったところなので、この名がついたといわれる。 金沢市主計町 尾張町2丁目 平成11年10月1日
復活
平成16年5月1日
区域拡大
/109
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主計町
春日町 かすがまち 古くからあった山上春日社(小坂神社)の付近にできたまちなので、春日社門前、六町春日町とも呼ばれていたが、藩政後期この名に改められた。 金沢市春日町9-6先 春日町1~5丁目
春日町
164
片町 かたまち 藩政初期、この地は犀川が分流し河原になっていたが、片側に掛作りしてすまいをしたためこの名がついた。はじめこのあたり一帯を河原町と呼んだ。 金沢市片町2-2-5 片町1・2丁目 56
旧金屋町 かなやちょう もと今の尾山神社の地あたりにあった。藩の初め、銀座役金屋彦四郎らが居住し、金銀貨を鋳造したのでこの名がつけられ、元和の初め、この地に移されたという。金谷町とも書いた。 金沢市東山2-16-7 東山2丁目、森山1丁目 155
旧上弓ノ町 かみゆみのまち 天和のころから足軽弓組の組地で、如来寺組、経王寺組と射場があり、小立野弓ノ町と呼ばれた。明治になって、如来寺組は上弓ノ町、経王寺組は中弓ノ町に、また、横山同心組の組地が下弓ノ町となった。 金沢市小立野5-4-1 小立野2・5丁目 24
旧河内町 かわちまち 加賀藩の老臣禄高一万七千石の奥村氏の下屋敷(家中町)があったところで、同家の当主が河内守に任ぜられたことがあり、明治の初めこの名がついた。 金沢市石引1-6-10先 石引1丁目 34
旧河原町 かわらまち この付近は、もと犀川の河原で、藩政初期、犀川の改修に伴って新たに作られた町の一つであるところから、はじめ、後河原町と呼ばれたが、のち、この名がつけられた。 金沢市片町1-9-20 片町1丁目 48
観音町 かんのんまち 元和二年、観音院が卯辰山から移されたのち、観音院から浅野川大橋までの道を拡張し、この通りを観音町と称した。 金沢市東山1-5-13 東山1丁目 149
菊川町 きくがわちょう 文政二年、犀川の雅名菊水川からこの名がついた。この地にあった芝居小屋の座元、菊川松之助の姓によったともいう。 金沢市菊川1-2-15先・工事により撤去中 菊川1・2丁目
城南2丁目
21
木倉町 きぐらまち 藩政の初めころ、藩の材木蔵があったのでこの名がついた。もとは木町、また一時期、西側半分は出大工町とも呼ばれていた。 金沢市木倉町 片町2丁目 平成15年8月1日
復活/62
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木倉町
旧木ノ新保 きのしんぼ 古くは石川郡石浦庄木ノ新保村で、藩政初期のころ金沢城近くの西側からこの地に移り、一帯を木ノ新保と総称した。明治の初めこの名が町名になった。 金沢市此花町6-10先 本町1丁目、此花町 139
旧木町 きまち 藩政のころ、材木問屋が集まっていたので、はじめ卯辰ノ木町、四丁木町などと呼ばれ、のち、この名がついた。 金沢市東山1-4-40 東山1・2丁目 150
旧銀杏町 ぎんなんちょう 藩士本多家の家士であった茨木氏の邸地が当地にあり、同所にはイチョウの古木があったことに因むという。 金沢市暁町9-35先 桜町
暁町
65
旧九人橋下通 くにんばししたどおり 九人橋は東内惣構堀に架けられた橋で、橋番が置かれていた。十人並んで渡ると九人の影しか映らないという伝説から、橋の名がついたという。町名はここから生まれた。 金沢市兼六元町11-35 兼六元町 88
旧九枚町 くまいまち 加賀藩の老臣奥村氏(一万二千石)の下屋敷地であり、同家の家紋九枚笹にちなみ、明治の初め、この名がつけられた。 金沢市暁町19-1先 暁町 68
旧胡桃町 くるみちょう この地の東外惣構堀にかかる橋を、橋詰の染師黒梅屋の名によって黒梅橋といったが、俗にくるみ橋と呼んだことから、明治4年この名で町立てされた。 金沢市兼六元町1-14先 大手町
兼六元町
小将町
78
旧玄蕃町 げんばまち 加賀藩重臣、津田玄蕃の下屋敷があったところで、明治の初め、この名がつけられた。 金沢市橋場町13-17先 橋場町
材木町
93
旧高儀町 こうぎまち もと寺地などであったが、藩政前期に藩用地とし藩士の屋敷などを置いたので公儀町と呼ばれ、のち、公儀の文字をはばかりこの名に改められたという。 金沢市長土塀2-2-9先 長土塀2・3丁目 81
旧五十人町 ごじゅうにんまち 藩政前期、加賀藩士小幡宮内の下屋敷があったが、のち、足軽五十人組が住んだので、この名がついた。 金沢市白菊町9-5先 中村町
増泉1丁目
白菊町
千日町
16
小将町 こしょうまち 藩政時代、藩主の身辺を護衛する小姓頭や小姓組の侍がここに置かれたので、御小姓町、小姓衆町、小姓町などと呼ばれた。加賀藩では小姓を小将とも書いたので、明治になって小将町となった。 金沢市小将町1-15先 小将町
東兼六町
73
小橋町 こばしまち 藩政時代、小橋は犀川大橋、浅野川大橋とともに金沢の三ツ橋と呼ばれ、金沢城防衛上の重要な拠点であった。この橋の近くにある町なので、明治になってこの名がついたという。 金沢市小橋町1-19先 小橋町
東山3丁目
156
旧五宝町 ごぼうまち 西末寺(本派本願寺別院)の門前で、藩政時代は西末寺町、西御坊町とも呼ばれていたが、明治の初め、この名に改められた。 金沢市笠市町2-47 安江町
笠市町
瓢箪町
141

さ行

さ行の一覧
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
材木町 ざいもくちょう 元和2年、紺屋坂付近にいた町民が城郭修築用木材を宮腰港から運搬した功で材木を与えられ、この地に移転したためこの名がついたといわれる。 金沢市材木町5-8先 扇町
東兼六町
小将町
横山町
材木町
橋場町
83
旧栄町 さかえまち 藩政時代、人持組深美氏の邸宅があったので、深美小路と呼ばれた。明治の初め諸士の邸宅が商家となり、繁昌を願って栄町と称した。 金沢市武蔵町11-7 武蔵町 105
旧桜木小路 さくらぎしょうじ もと泉野村の地で藩政期末までは越中屋小路・玄光院前通りと呼ばれていたが、このあたりから犀川河岸にかけて、桜の木が多く植えられていたので、明治の初め、この名がついた。 金沢市寺町2-13-24 寺町1・2・4丁目
泉野2丁目
4
旧桜畠 さくらばたけ もと泉野村の地で、城からの眺めをよくするため、桜の木が多く植えられたので、この名で呼ばれたという。 金沢市寺町3-6 寺町1・3丁目
清川町
11
旧笹下町 ささかまち もと泉野村の地であたり一帯が竹藪であったことからこの名がついたという。笹ヶ町とも書いた。 金沢市寺町5-12-16 寺町5丁目
野町3丁目
12
里見町 さとみちょう 加賀藩士、禄高千二百石の里見氏の屋敷があったことから、この名がついた。 金沢市里見町54-2 広坂1丁目(一部) 52
旧醒ヶ井町 さめがいちょう 藩政時代は北広岡村領の請地で、前田土佐守の下屋敷(家中町)があった。目の醒めるようなきれいな水の井戸があったことから、明治2年、町名となった。 金沢市広岡1-17 広岡2丁目 131
旧三社五十人町 さんじゃごじゅうにんまち 藩政時代、この地に足軽五十人組の組地の一つがあり、三社にあったことからこれを冠称にこの名がついた。 金沢市長土塀2-18-28先 長土塀2丁目
芳斉1丁目
三社町
98
三社町 さんじゃまち この付近は旧石川郡戸板郷三社村で、氏神三社の宮があったのでこの名になった。藩政時代は武家屋敷に農家、町家が混在した町であった。 金沢市三社町7-9 三社町
元菊町
長土塀2丁目
芳斉1丁目
110
旧地黄煎町 じおうせんまち 藩政初期、泉野新村から発達した町で、地黄という薬草を採取して地黄煎という飴薬を売り出したことから、この名がついたという。 金沢市泉が丘1-2-45 泉野町4・6丁目
泉が丘1・2丁目
2
旧塩川町 しおがわちょう 加賀藩士、塩川安左衛門の屋敷があったところなので、この名がつけられた。 金沢市中央通町7-28先 長町2丁目
中央通町
70
旧塩屋町 しおやまち 藩政の初め、金沢城北側の大手門付近に塩問屋があつまっていたので、この名がついた。寛永のころ、この地に移った。 金沢市瓢箪町7-28 瓢箪町 142
十間町 じっけんまち 寛永以前からの古い町名で、当初の戸数が十軒であったことから、この名がついたという。 金沢市十間町44 変更なし 103
旧品川町 しながわちょう 加賀藩士品川氏の邸地があったところなので、この名がつけられた。 金沢市天神町2-16 天神町2丁目 54
島田町 しまだまち 藩政の初期から元禄のころまで当地に島田勘兵衛の屋敷があったが、その後邸地を返上、島田勘兵衛上地町と呼ばれ、享保の町絵図では島田町と記されている。 金沢市本町2-8-11先 本町2丁目
昭和町
125
旧主馬町 しゅめまち 藩政時代、鉄砲頭をしていた本庄主馬の邸地があったので主馬殿町と呼ばれ、のち、この名がついた。 金沢市菊川2-17-7先 菊川1・2丁目
幸町
25
白菊町 しらぎくちょう 加賀藩士、前田平太夫の下屋敷があったところで、その定紋「菊一文字」にちなんで、この名がついた。 金沢市白菊町11-1 変更なし 18
旧白山町 しらやまちょう 藩政時代、波着寺門前と呼ばれていたが、波着寺の山号が白山であるところから、明治4年、この名に改められた。 金沢市石引2-20-19先 石引2丁目 28
旧白銀町 しろがねちょう 藩政初期は安江村であった。町地が広がったため安江木町となり、その一角に白銀細工師がいたため町名になったという。 金沢市玉川町11-18 本町1・2丁目
玉川町
武蔵町
119
新町 しんちょう 藩政初期からの町名で、尾張町に家屋が増え、町地が狭くなったので、新しく町立てされたため、この名がついた。 金沢市尾張町2-9-12 尾張町2丁目 平成21年11月1日
下新町
復活/108
写真を見る場合は次のリンク先をご覧ください。
下新町
杉浦町 すぎうらまち 藩政初期、加賀藩士、杉浦仁右衛門の預り足軽の組地であったことからこの名がついた。 金沢市杉浦町13先 変更なし 35
旧助九郎町 すけくろまち 藩政時代、本間助九郎または葛巻助九郎の邸地があったので、この名がついたという。 金沢市野町2-30-1先 野町2丁目 15
折違町 すじかいまち 鞍月用水に斜めにかけられた橋をすじかい橋といい、この名が町の名になった。はじめすじかい橋町ともいった。 金沢市昭和町8-1 折違町
昭和町
122
旧仙石町 せんごくまち 千石町とも書いた。藩政初期からの町名であるが、その由来は明らかではない。 金沢市広坂2-2 香林坊1丁目
広坂2丁目
尾山町
67
千日町 せんにちまち この町に真言宗の雨宝院があり、山号が千日山であるところから、この名がついた。 金沢市千日町1-3 野町2丁目
中村町
千日町
白菊町
17
旧仙人町 せんにんまち 明治3年の町立て、町名の由来は不詳だが「こんな荒れたところに住むのは仙人しか居ないから仙人町としたらいい」と命名されたという。千人町とも書いた。 金沢市清川町10-9先 清川町 5
旧象眼町 ぞうがねまち 藩政時代、地子町の一つで、象嵌師が住んでいたことからこの名がついた。ずがねまちともぞうがんまちともいった。 金沢市安江町5-10 笠市町
安江町
135
旧宗叔町 そうしゅくちょう 元禄のころ堀宗叔という医師が住んでいたのでこの名がついた。堀家は代々藩医をつとめていた。 金沢市玉川町2-20先 玉川町
芳斉1・2丁目
99

た行

た行の一覧
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
旧大工町 だいくまち 寛永の大火のあと、ここに拝領地を受けて藩の御大工衆が住んだことからこの名がついた。 金沢市片町1-11-6先 片町1丁目(一部) 51
旧大衆免 だいじゅめ この付近は昔、神宮寺の大衆の免田で、税が免除されていたのでこの名がついたといわれ、明治初年には大衆免を冠する町が十八あった。 金沢市森山1-3-17 森山1丁目 157
旧台所町 だいどころまち 藩政時代、この地に台所付足軽などの組地があったところから、この名がついた。 金沢市菊川1-29-1 菊川1丁目
城南2丁目
23
高岡町 たかおかまち 越中高岡に隠居していた二代藩主前田利長が、家臣を高岡からかえし、この地に住まわせたため、この名がついた。 金沢市高岡町15-1 香林坊2丁目
高岡町
武蔵町
82
旧鷹匠町 たかじょうまち 寛文の初めころから、藩の鷹匠の邸地や鷹部屋がここにあったので、この名がついた。 金沢市石引4-6-1 石引2・4丁目 36
旧高道町 たかみちまち 藩政初期の北陸道は、現道路よりやや西にあったいまの道が山側で高いところを通ったので、この名で呼ばれるようになった。 金沢市山の上町1-29先 東山2丁目
山の上町
森山1丁目
158
旧竹田町 たけだまち 加賀藩士禄高三千五百三十石の竹田氏の下屋敷(家中町)があったところなので、明治2年、この名がついた。 金沢市長土塀3-20-3先 長土塀3丁目 90
竪町 たてまち 古くは犀川の河原であったが、元和2年町地となり、川に並行して道路をつくったため竪河原町と呼んだ。のち省略されて竪町となった。 金沢市竪町119(竪町広場内) 竪町
片町1丁目
167
旧玉井町 たまのいまち 加賀藩士禄高五千石の玉井氏の屋敷と同家の下屋敷・家中町があったところで、明治の初めこの名がついた。 金沢市昭和町16-3先 本町2丁目
昭和町
137
旧田丸町 たまるまち 加賀藩士、田丸兵庫が藩政初期に住んでいたところで、兵庫は寛永期大聖寺藩に仕えたので、田丸兵庫上ヶ地町と呼ばれていた。のち、略してこの名がついた。 金沢市本町2-18-8 本町1・2丁目
昭和町
129
旧茶畠 ちゃばたけ この地はもと泉野村領で、藩政時代に茶の木を多く植えたので、この名で呼ばれたという。 金沢市寺町4-6 寺町4丁目 6
旧蔦町 つたまち 加賀藩士禄高七千六百五十石の青山氏の下屋敷(家中町)があったところで、同家の家紋「丸の内蔦」にちなみ、明治の初めこの名がついた。 金沢市三社町11-23 三社町
元菊町
101
旧土取場 つちとりば 藩政前期から、このあたりの土を取って瓦を焼いたところからこの名がついたといわれ、また、土居や堤防を築くときにも使われたといわれる。かつては土取場を冠する町が三町あった。 金沢市宝町13-1 石引1丁目
宝町
37
堤町 つつみちょう 藩政期以前にできた寺内町の一つで、堀り上げた土の堤上に町地ができたことから、この名がついた。寛永十二年の火災を機に西内惣構堀の内からこの地に移された。 金沢市下堤町1・工事により撤去中 高岡町・尾山町の各一部 平成21年11月1日
上堤町
復活
写真を見る場合は次のリンク先をご覧ください。
上堤町
旧手木町 てこまち 藩政時代、城中の露地方として庭造りをしたり、藩主の行列の際に荷物を運搬する手木足軽の組地であったので、お手木町、御手木ノ町と称され、明治4年、手木町となった。てこのまちとも呼ばれた。 金沢市本多町1-11-10先 本多町1丁目 31
寺町 てらまち 加賀藩初期、城下町整備のため前田利常の命により、主に犀川周辺の寺をこの地に集めたので、この名がついた。 金沢市寺町4-2-6 寺町1~4丁目 10
出羽町 でわまち 藩政初期、藩の重臣、篠原出羽守一孝とその一族、家臣などが住んでいたので、この名がついたといわれる。昔は出羽殿町とも呼ばれていた。 金沢市出羽町3-1 石引4丁目
兼六町
出羽町
本多町2・3丁目
49
旧伝馬町 で(て)んままち 藩政時代、藩用の人や荷物を運ぶために66匹の伝馬が置かれたことからこの名がついた。藩初は橋場町付近に置かれていたという。 金沢市片町2-30-1 片町2丁目
中央通町
長町2丁目
53
旧同心町 どうしんまち 藩政期に同心(加賀藩では足軽の一種)が住んでいたために名づけられたといわれている。 金沢市小金町1-33先 小金町
春日町
163
旧百々女木町 どどめきちょう 藩政時代、木曽谷に注ぎ込む川の流れが急で、高い音をたてていたところから、ここに架けられた橋をどどめき橋と呼び、この名が町名になったという。 金沢市宝町12-1先 石引1丁目
宝町
42
旧殿町 とのまち もとは十間町の地内にあり、藩政期には、その中の武家地を殿町と呼んだことからこの名がついた。 金沢市大手町13-10先 大手町
尾張町1丁目
97
飛梅町 とびうめちょう 前田対馬守長種にはじまる藩の老臣一万八千石前田氏の下屋敷(家中町)があったところで、同家の家紋「角の内梅輪」にちなみ、明治2年、この名がつけられた。 金沢市飛梅町 石引3丁目
東兼六町
平成12年4月1日
復活/50
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飛梅町
旧富本町 とみもとちょう 文政6年に法船寺町から分立し、町内には鍔屋小路も含まれていた。明治4年、広小路と等雲寺門前を合併する。町名の由来は不詳。 金沢市長町2-7-3先 中央通町
長土塀3丁目
長町2丁目
76
旧巴町 ともえまち 加賀藩士伴八矢の下屋敷(家中町)があったところで、その家紋「左三つ巴」にちなんで、明治の初め、この名がついた。 金沢市笠市町5-35先 笠市町
安江町
133
豊国町 とよくにまち 観音山下町が改称されたもの。豊国神社社殿の麓にあったことから、明治元年、この名がついた。 金沢市東山1-36-21先 東山1丁目 147

な行

な行の一覧
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
旧長柄町 ながえまち 藩政のころ、参勤交代のときなどに長柄の槍を持つ人達が住んでいたので、この名がついた。 金沢市菊川1-17-1先 菊川1丁目 22
長土塀 ながどへ 藩政時代、この付近に長、村井、今枝などの武士の下屋敷があり、外囲いの土塀が長く続いていたので、この名で呼ばれている。 金沢市長土塀1-15-13先 長土塀1・2丁目
芳斉1・2丁目
長町3丁目
三社町
91
旧長門町 ながとまち 加賀藩士、山崎長門の邸地があったところで、はじめは長門上ヶ地町と呼ばれたが、のち、この名がついた。 金沢市片町2-26-1先 片町2丁目
中央通町
59
中橋町 なかばしまち 宮腰往還を横切る3本の用水に、三つの橋が架けられその中央の橋を中橋と呼んだ。この橋の近くにある町なので、この名がついた。 金沢市中橋町90先 中橋町
長田1丁目
130
旧中町 なかまち 藩政初期、金沢城大手門から出る本通りの町だったのでこの名で呼ばれ、本町の一つとして重んじられた。 金沢市尾張町1-4-1先 大手町、尾張町1丁目 104
長町 ながまち 藩政時代はすべて藩士の邸地で、香林坊下から図書橋(ずしょばし)あたりまでの長い町筋であったところから、この名がついたという。また、藩の老臣長氏や山崎長門の氏名に由来するともいう。 金沢市長町1-1-23先 長町1~3丁目
片町2丁目
長土塀2丁目
72
七ツ屋町 ななつやまち もと石川郡下安江村の地内で、民家七軒があったので堀川七ツ屋と呼ばれていた。のち、七ツ屋と称され、明治の中ごろ町名になった。 金沢市七ツ屋町ニ22-1番地 変更なし 146
旧七曲り ななまがり 藩政時代、侍町の西に続いて折れ曲がった町筋であることからこの名がついた。三社七曲りともいった。 金沢市長土塀2-10-25先 長土塀2丁目 95
並木町 なみきまち 藩政時代、浅野川の護岸のために川沿いに植えられた松並木にちなんで、この名がついたという。 金沢市並木町 材木町
橋場町
平成17年10月1日
復活/100
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並木町
旧成瀬町 なるせまち 加賀藩重臣、成瀬氏邸地があったのでこの名がついた。昔は高石垣の上に楼門、長屋などがあり、俗に加賀の小城と呼ばれた。 金沢市東兼六町10-8先 東兼六町 60
旧西町 にしちょう 金沢御坊の西にできたのでこの名がついたといわれ、のち尾山城(金沢城)になってからできたという説もある。佐久間盛政が金沢御坊を攻め取って西町口を城の大手とした。 金沢市尾山町9-13 丸の内
尾山町
86
旧二十人町 にじゅうにんまち 藩政のころ、鉄砲足軽二十人をこの地に住まわせたことから、小立野二十人町、小立野足軽町二十人町などと呼ばれた。明治4年、付近の町を加えて二十人町となった。 金沢市石引2-6-32先 石引2丁目 33
旧沼田町 ぬまだまち もと石川郡泉野村の地内であったが、文政6年町立てされた。もとは沼地であったことからこの名がついたといわれる。 金沢市野町3-21-5 寺町4丁目
泉野町3丁目
野町3丁目
9
野町 のまち 藩政の初め、松林や雑木林などの地であったが、城下町の拡大に伴い町地となったので、はじめ泉野町といわれ、のち、略されてこの名で呼ばれるようになった。 金沢市野町3-1-27 野町1~4丁目
千日町
14

は行

は行の一覧
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
旧博労町 ばくろまち 藩政期、馬を売買するかたわら、藩士の稽古用の賃馬を飼育する博労たちが住んだことからこの名がついた。馬労町とも書いた。 金沢市尾張町2-4-12先 丸の内(一部)
大手町(一部)
尾張町1・2丁目(一部)
112
橋場町 はしばちょう 天正年間は懸作・掛作とよび、商人が浅野川の河原に掛作(仮屋)を作って商売をしていた。藩政期には橋爪町・橋端町ともいった。町名は大橋詰めの位置に由来するという。 金沢市橋場町4 橋場町
尾張町1・2丁目
107
旧八幡町 はちまんまち 卯辰八幡宮が、慶長4年から明治6年まで宇多須神社の地にあったので、社号からこの名がついた。 金沢市東山1-30-8先 東山1・2丁目 151
旧英町 はなふさちょう もと安江木町の一部で、町内に英田広済寺があったことから、文政4年、町名改めのとき「英」の一字を用いて町名とした。 金沢市本町2-5-2先 芳斉2丁目
本町2丁目
123
旧馬場崎町 ばばさきちょう 藩政時代、藩の老臣横山氏上屋敷の馬場の横通りを馬場先と呼んでいたので、明治の初め、この名がついた。 金沢市暁町3-5先 桜町
暁町
横山町
75
旧早道町 はやみちまち 藩政時代、藩の足軽飛脚が居住していた組地であった。飛脚のことを早道と呼んでいたので、この名がついた。 金沢市幸町17-13 菊川2丁目
幸町
26
彦三町 ひこそまち 加賀藩の重臣、不破彦三とその家臣が住んでいたので、この名がついた。藩政時代、彦三殿町とも呼ばれていた。 金沢市彦三町1-9-5 彦三町1・2丁目
瓢箪町
尾張町2丁目
安江町
118
旧備中町 びっちゅうまち 加賀藩士、岡島備中の下屋敷があったところで、元禄ころは備中上地町といいい、のち、この名となった。 金沢市材木町17-30 材木町 85
旧百姓町 ひゃくしょうまち もと石川郡石浦村の農地であったが、江戸時代前期(寛永8年以前)に町立てされた。農民が住んでいた町ということからこの名がついた。 金沢市幸町6-23先 幸町 29
瓢箪町 ひょうたんまち 藩政の中ごろまでこのあたりは塩屋町の一部で、この地に瓢箪をつくる者がいたから、また瓢箪を売る店があったことから、この名がついたといわれる。 金沢市瓢箪町5-48 変更なし 136
旧火除町 ひよけまち 藩政時代、防火のため城下町の所々に空地を設けて火除地としたが、ここもその一つであったのでこの名で呼ばれた。火避町とも書かれた。 金沢市暁町4-28先 暁町 69
旧日吉町 ひよしまち 藩政時代に宮腰往還から広岡山王社への山王道が通称日吉町と呼ばれ、明治期に町名となったが、鉄道高架事業で高架下に消えた 金沢市広岡1-17-25 広岡1丁目
中橋町
128
旧広岡町 ひろおかまち 「ひろか」の地名は平安末期に見え、平岡野・弘岡と書き、藩政期には北広岡村となり、町地の拡大で広岡町となった。 金沢市広岡1-17 広岡1~3丁目
西念1丁目
駅西本町1丁目
132
旧吹屋町 ふきやまち もと石川郡田井村の地内で、鋳物師や職人が住んだので、この名がついた。藩政期の記録には、鎔屋町(いがたやまち)とも書かれている。 金沢市桜町23-16先 桜町 64
袋町 ふくろまち 藩政期の本町の一つで、この町筋が北国街道であった。道の両端が曲って袋のようであったところから、この名がついたという。 金沢市袋町 安江町
尾張町2丁目
平成19年3月1日
復活/114
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袋町
旧藤棚 ふじだな この地はもともと成福寺・白山社の旧地で成福寺門前といわれていた。境内に大きな藤棚があったので、通称藤棚とも呼ばれていたが明治4年町名になった。 金沢市城南1-7-16先 城南1・2丁目 19
旧淵上町 ふちのえまち 浅野川の淵の上にできた町で、藩政のころは堀川川除町、堀川淵上町と呼ばれていたが、明治の初め、この名に改められた。 金沢市堀川町13-1先・工事中 笠市町
堀川町
144
旧古寺町 ふるでらまち 藩政初期この地に寺が集められていたが、元和のころになってそのほとんどを寺町台へ移し、跡地をこの名で呼ぶようになった。 金沢市片町2-3-7先 片町2丁目 55
旧古道 ふるみち 金沢城下から宮腰(金石)へ通じる古い道であったが、元和2年新しく往還ができたので、新道に対して古道と呼んだ。 金沢市昭和町5-13 昭和町
芳斉2丁目
元菊町
中橋町
長田1丁目
120
芳斉町 ほうさいまち 上杉景勝、松平忠直に仕え勇名をはせた青木新兵衛芳斉が、三代藩主利常に五千石をもって招かれてこの地に住んでいたので、のち、この名で呼ばれた。 金沢市芳斉2-3-8 芳斉2丁目 116
旧宝船路町 ほうせんじまち 寛永の大火のあと、犀川大橋詰にあった法船寺がこの地に再建されて、門前町をつくり法船寺町と呼ばれた。明治4年、宝船路町に改められた。 金沢市中央通町11-46先 中央通町
長町2丁目
74
堀川町 ほりかわまち 粟崎・大野等の港から、舟で金沢へ荷物を運ぶため、元和のころ浅野川を掘り開いたことから、このあたり一帯を堀川と呼び大いに賑わった。 金沢市堀川町22-19 堀川町
笠市町
145
旧母衣町 ほろまち 藩政のはじめころ、母衣衆と称する武士の邸地があったので、この名がついたという。 尾張町2-16-22先 彦三町1丁目
尾張町2丁目
115
本多町 ほんだまち 加賀藩の老臣本多安房守の下屋敷があったところなのでこの名がついた。かつては、本多氏の名をかぶせた町が15あった。 本多町3-2-1 本多町1~3丁目
出羽町
47

ま行

ま行の一覧
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
旧又五郎町 またごろうちょう 加賀藩士、横山又五郎の邸地があったので、明治の初め、この名がついた。 金沢市材木町6-30先 材木町 84
旧松原町 まつばらちょう もと松原口門の前にあったことからこの名がついたという。藩政期には権現堂御門前町ともいい、のち御門前松原町といった。 金沢市尾山町2-27 香林坊1丁目
尾山町
87
旧水車町 みずぐるままち 藩政初期、松任から来た油屋が用水に水車をかけて灯油などの製造を行ったことから、この名がついた。 金沢市小橋町2-29先 小橋町
元町2丁目
159
水溜町 みずためまち 犀川の河原であったが、川跡を追い追い埋め立て、埋め残りに水溜堀があったのでこの名がついた。元禄年間、60メートル余のこの堀は水溜と呼ばれ、消防に役立った。 金沢市水溜町3-1先 変更なし 38
旧味噌蔵町 みそぐらちょう 藩政初期に軍用の味噌蔵が建てられていたところから、この名がついたという。 金沢市大手町8-25先 大手町
尾張町1丁目
兼六元町
橋場町
89
旧三構 みつがまえ もと高巌寺前といったが、これを光岩寺前とも書き、のちに光岩前と略して「みつがんまえ」と呼んだことから、この名がついたといわれる。 金沢市芳斉2-4-15先 芳斉1・2丁目 111
南町 みなみちょう 佐久間盛政が城主のころ城の南にあったので、この名がついた。文禄元年この地に移転したが、寛永12年の移転説もある。 金沢市尾山町2-3先 高岡町
香林坊1・2丁目
尾山町
平成20年11月1日
復活/80
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南町
旧元車町 もとぐるままち 藩政初期、大豆田用水に水車を設け灯油を製造したところから、犀川油車、油車町とも呼ばれていたが、のち、この名がついた。 金沢市長土塀3-26先 長土塀2・3丁目 79
旧桃畠町 ももばたけまち もと泉野村の地で藩政期に桃の木が多く植えられたので桃畠と呼ばれたという。また、古くからこの地に桃畠があったからともいわれる。のち、民家が建ち、明治4年、町名になった。 金沢市弥生1-7 野町3丁目
弥生1丁目
8
旧森下町 もりもとまち 藩政初期、森下村の郷士亀田大隅の子孫が染工になって居住していたので、この名がつけられた。 金沢市東山3-4-24先 東山1~3丁目
森山1丁目
153

や行

や行の詳細
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
旧柳町 やなぎまち 町名の由来は、かつて伊予西条城主だった一柳監物の預所があり、その名に因んだという。その周辺に柳の木があったことによるとの説もある。 金沢市本町2-7-8先 本町1丁目
昭和町
124
旧山田屋小路 やまだやしょうじ 藩政時代、山田屋という魚屋が数代にわたり住んでいたところから、この名がついたという。 金沢市幸町12-1 幸町 30
山ノ上町 やまのうえまち 「山ノ上」の名は、古く室町期から見られるが、藩政期、河北郡小坂庄山ノ上村の一部を町地とし、その名を町名とした。 金沢市山の上町31-1先 山の上町
森山1・2丁目
162
旧弓ノ町 ゆみのまち 藩政時代、弓組の侍が住んでいたところで、後弓ノ町、升形弓ノ町とも呼ばれていたが、明治の初め、この名に改められた。地名などを冠した弓ノ町がほかにもあった。 金沢市本町1-2-45先 本町1・2丁目 126
横山町 よこやまちょう 加賀藩の老臣横山氏が、下屋敷のあったこの地に元禄から藩末まで代々家臣とともに住んでいたので、この名がついた。 金沢市横山町352 横山町
材木町
77

ら行

ら行の詳細
町名 よみがな 由来説明文 設置場所 現在の町名 備考/
番号
旧六斗林 ろくとばやし 平安時代の末に六動太郎光景という武士が住み、その付近に樹木が生い茂っていたので六動林と称され、転じてこの名になった。 金沢市野町3-15-14先 弥生1丁目
野町3丁目
13
六枚町 ろくまいまち 藩政前期からある町人町で、この町の宅地税である地子銀が年間6枚であったところから、この名がついたと伝えられている。 金沢市六枚町 六枚町 平成16年6月1日
復活/121
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六枚町

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