金沢の庭園文化
金沢の庭園文化 動画公開
金沢市歴史的庭園振興プラン
近世城下町都市として成立して以降、一貫して戦災に遭うことのなかった本市には、主に藩政期から明治、大正、昭和の各時代につくられた歴史的庭園が今もなお多く残されています。武家社会の間で浸透した庭づくりの文化は、近代以降にも実業家や商人層などを中心に受け継がれ、多様な趣向を持つ庭園が生み出されてきました。
これら一連の庭園は、建造物や自然環境、あるいは茶道などの伝統文化とも密接に関連しながら今日まで継承されてきたものであり、歴史都市金沢を象徴する貴重な文化遺産であるといえます。
さらに近年では、金沢城跡を核とした中心市街地に展開している、城下町時代からの都市構造に由来する豊かな用水網と、この流れを取り入れた庭園群が、都市のグリーンインフラ、SDGs などの観点からも高い注目を集めています。令和5年(2023)10 月には、生態系回復や環境保全を推進する国連環境計画において、本市が国内で唯一の「都市生態系再生モデル都市」に選定されました。
こうした最新の情勢も踏まえ、本市では、金沢の庭園にみられる多面的な特徴の検討・整理を通して「金沢の庭園文化」を定義することで、歴史的庭園が有する価値や魅力を顕在化させ、歴史遺産・文化観光資源としての効果的な活用の推進を図るとともに、価値や魅力を共有する関係者が協働し、歴史的庭園を持続可能なかたちで保存継承していくことを目指して、「金沢市歴史的庭園振興プラン」を作成しました。
金沢の庭園文化とは
日本庭園の歴史は古く千年以上も遡ることができ、庭づくりの文化は全国の北から南の隅々にまで広がっています。それぞれの地域で長い年月の間に多様な庭園がつくられ、その地に根差す人々の日々の営みのなかで、大切に受け継がれてきました。
人が介在することによって成立する庭園ですが、その造形は土・石・水・植物といった自然物で構成されています。したがって本質的にその地の気候風土に大きく影響されることになりますが、そのことが庭園に「地域性」(地域による固有性、独自性、地域らしさ)をもたらしています。
金沢の庭園にみられる地域性
現在の金沢の中心市街地は、加賀藩主前田家が築いた城下町の都市構造を色濃く受け継いでいます。起伏に富んだ自然地形を背景に、水と緑が織りなす都市空間が形成され、そのなかで雪国の気候風土に根差した多彩な伝統文化が展開されています。
こうした都市の成り立ちを反映し、金沢の庭園には次のような「地域性」が現れています。
雪国の知恵 ―用と景の追求―
今日では金沢の冬の風物詩となっている樹木の雪吊り、灯籠・土塀などに施す薦掛けは、この地方に特有の重く湿った雪から大切な庭木や景物などを保護するために編み出された技術であり、まさに雪国の知恵の結晶といえます。長い年月を経て確立された多彩な技法、細部にまで気を配った意匠には、それ単体で庭景となる実用の領域を超えた美しさが備わっており、金沢の庭師が受け継いできた美意識が、職人の技巧として反映されています。
雪吊り(兼六園)
薦掛け(長町武家屋敷跡)
建築と調和する庭園
金沢では藩政期から、武士住宅や町家に「土縁」と呼ばれる土間の縁側空間を設けるのが一般的でした。外周に立てる板戸を開閉することで屋外空間にも屋内空間にもすることができ、雪によって庭先に出られない冬場に貴重な明かり取りとなるほか、茶道が盛んな金沢では飛石や小灯籠、手水鉢などを設えることで露地の役割をもたせた事例が多くみられます。このような建物と庭の境界をあいまいにする軒内の庭には独特の趣きがあり、建築と庭園の融合が図られているともいえます。
寺島蔵人邸跡(市史跡)
成巽閣庭園(国名勝)
水系を生かした作庭
中心市街地には、城下町の形成に深く関わった辰巳用水、大野庄用水、鞍月用水の流れを取り入れた庭園が集中しています。この造園手法は江戸、明治、大正、昭和の各時代の庭園にみられ、それぞれの庭園で池泉や滝、曲水などの水の意匠に生かされています。他に、山裾などに営まれる庭園では湧水を利用している事例もあり、金沢では豊かな水環境と一体となった庭づくりが伝統的に行われてきたことがわかります。
千田家庭園(市名勝)
西氏庭園(国名勝)
金沢の庭園文化
これらのことを踏まえ、プランでは、金沢の庭園文化を次のとおり定義しました。

金沢城の周囲には、藩主家の庭園をはじめ、大名クラスの石高を誇った加賀八家の庭園、武家の庭園、寺社の庭園などが回廊のように連なっています。
本市では、「金沢の庭園文化」を伝える歴史的庭園について、その文化財的な価値を基底にしつつ多面的な特徴にも焦点を当てることで、保存継承と活用の均衡を図りながら振興に取り組んでいきます。
中心市街地の歴史的庭園群




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