繊維産業
金沢製糸場
1874年(明治7年)、「金沢製糸(せいし)場」が作られました。そのころとしては、全国で第2位の大きな工場で、カイコのまゆから糸をつむぐ、半木製(はんもくせい)のくり糸機が200台ありました。 1900年(明治33年)、津田米次郎(つだよねじろう)が、力織機(りきしょっき)という、なめらかな絹織物(きぬおりもの)をおる機械を発明し、絹織物が発達しました。
津田式力織機
第1次、第2次世界大戦中は力織機の生産がとてもへって、廃業(はいぎょう)する工場も増えました。戦争後は、繊維団体(せんいだんたい)が数多く作られ、それまでの経験(けいけん)と最新の技術(ぎじゅつ)、設備(せつび)によって、繊維産業は急速に発展(はってん)しました。