ナンシー【フランス】
市庁舎(しちょうしゃ)とスタニスラス広場
ナンシーからの留学生(りゅうがくせい)
提携(ていけい)
1973年(昭和 48年)10月12日
人口
10万人
面積
15平方キロメートル
ナンシー市の概要(がいよう)
フランス東部の都市で、パリまではTGVという高速列車で約1時間半のところです。言語はフランス語。長くきびしい寒さの冬以外は、すごしやすい気候です。
18世紀ごろ、ルイ15世の義父(ぎふ)にあたるスタニスラス公がロレーヌ公国(こうこく)の王様になってから、経済的(けいざいてき)にも文化的にも栄え、城下町(じょうかまち)として発展(はってん)しました。機械、織物(おりもの)、ガラスなどの産業を中心に発展しました。
19世紀から20世紀の初めにかけて、世界に広く影響(えいきょう)をあたえたアール・ヌーボーという芸術(げいじゅつ)運動の中心地、発祥地(はっしょうち)として有名です。そのスタイルの建物(たてもの)が市内のあちこちに見られます。
ナンシー市は、総合大学、建築学校、美術学校などがある学園都市であり、またフランス3大バレエ団(だん)の1つ、ナンシー国立バレエ団もあります。
主だった交流
- 両市の代表団(だいひょうだん)がおたがいに訪問(ほうもん)しました。
- 金沢大学とナンシー大学、金沢美術(びじゅつ)工芸大学と国立ナンシー美術学校が学術(がくじゅつ)交流をしました。
- 卯辰山工芸工房(うたつやまこうげいこうぼう)に研究生をむかえました。
- ナンシー市と金沢市が協力し、ナンシー市で日仏交流会議をひらきました。
- 金沢市立病院で研修生をむかえました。
- 両市の学生がおたがいの都市の市役所でインターンシップ(仕事体験)を行いました。