市民憲章
市民憲章(しみんけんしょう)
金沢市民憲章
みなさんの学校では、学校生活を安全で楽しくするために、いろいろな決まりがありますね。廊下(ろうか)を歩くときや登下校の時間など、生徒ひとりひとりが安全にすごせるように、みんなが守っていかなければならない約束です。
それと同じように、金沢市にも金沢市民憲章という約束ごとがあります。市民のひとりひとりが、自分の住んでいるまちを住みやすい平和なまちにするために、自分たちで進んで作った決まりです。
金沢市民憲章は、昭和54年、金沢青年会議所が中心になって、シンポジュウム・ザ・カナザワというイベントを開いたときに作られました。
金沢を愛するわたくしたちは、兼六園(けんろくえん)の四季のいろどり、犀川(さいがわ)・浅野川の清い流れ、山や街のゆたかな緑、かおり高い伝統(でんとう)文化を誇り(ほこり)とし、希望と活力にみちたはたらく基盤(きばん)と、創造性(そうぞうせい)あふれる教育・文化の華(はな)さくまちづくりにつとめます。
- 1 ひらこう 世界と未来に 心の窓(まど)を
- 1 めざそう いきいきと明るい くらしの創造を
- 1 まもろう 美しい心と ふるさとの自然を
- 1 つなごう みんなの力で まちづくりの手を
- 1 きずこう 個性(こせい)ゆたかな あすの金沢を
【ちょっとコラム】 金沢の地名伝説
金沢の地名には「いもほり藤五郎(とうごろう)の伝説」という話があります。
昔、山芋(やまいも)をほって売っていた、藤五郎というまずしい青年がいました。欲(よく)のない藤五郎にお嫁(よめ)さんが金(きん)の大切さを話すと、「このようなものは山に行って芋をほれば、いっぱいついてくる」といいました。山で芋をほってみると、いものひげに砂金(さきん)がついていました。二人で砂金を洗った泉(いずみ)が「金洗沢(かなあらいざわ)」とよばれ、それが金沢の地名になったといわれています。現在(げんざい)の兼六園の「金城霊沢(きんじょうれいたく)」が、その泉だということです。