九谷焼、大樋焼
九谷焼
1665年(明歴元年(めいれきがんねん))に、初代大聖寺(だいしょうじ)藩主(はんしゅ)前田利治(まえだとしはる)の命令で、江沼郡九谷村(えぬまぐんくたにむら)(現在(げんざい)の加賀市山中温泉九谷町(かがしやまなかおんせんくたにまち))の窯(かま)で作られたところから、九谷焼と名前がつきました。しかし、50年ほどで窯は廃止(はいし)されてしまいました。
それから約100年後、京都の青木木米(あおきもくべい)という名人が、卯辰山(うたつやま)に春日山窯(かすがやまがま)を作ったのをきっかけに、新しい窯が次々に生まれました。明治初期には九谷庄三(くたにしょうぞう)の金襴手(きんらんで)という技法(ぎほう)が主流になりました。
九谷焼の特徴(とくちょう)は五彩(ごさい)とよばれる、赤、黄、緑、紫(むらさき)、紺青(こんじょう)の見事な色合いと豪快(ごうかい)で美しい絵模様(えもよう)に表れています。美術(びじゅつ)工芸品としても、国内外で有名です。
春日山窯(かすがやまがま)で焼かれた器
呉須赤絵写鳳凰牡丹文大鉢 春日山窯
(ごすあかえうつしほうおうぼたんもんおおはち)
金沢卯辰山工芸工房 所蔵
(かなざわうたつやまこうげいこうぼう しょぞう)
九谷焼の香炉(こうろ)
色絵金彩花鳥文大香炉
(いろえきんさいかちょうもんおおごうろ)
石川県立美術館 所蔵
(いしかわけんりつびじゅつかん しょぞう)
大樋焼(おおひやき)
大樋釉海老摘手付水指
(おおひぐすりえびつまみてつきみずさし)
大樋美術館 所蔵
(おおひびじゅつかん しょぞう)
1666年(寛文(かんぶん)6年)、5代藩主綱紀(つなのり)が、茶道を広めるために、京都から裏千家の仙叟宗室(せんそうそうしつ)をまねきました。そのときに一緒(いっしょ)に来た長左衛門(ちょうざえもん)(楽焼きの職人(しょくにん))が、金沢の北にある大樋村(おおひむら)に楽焼きの窯を開いたのが始まりです。
ろくろを使わない手びねりで、ひとつひとつ作られ、釉薬(ゆうやく)がとけているときに窯から出す製法(せいほう)によりきれいな飴色(あめいろ)をしています。この飴色は、楽焼きの黒、赤の色を使用することを京都からきんじられたために、工夫して作られた飴釉(あめゆう)という釉薬の効果(こうか)による独特(どくとく)の発色です。抹茶(まっちゃ)の緑との配色が美しく、温かい手ざわりが特徴です。