加賀繍、加賀毛針

加賀繍(かがぬい)

 

仏教(ぶっきょう)の布教(ふきょう)にともない、仏壇(ぶつだん)にしく布や僧侶(そうりょ)の袈裟(けさ)などとして京都から伝えられ、その後、藩主(はんしゅ)の陣羽織(じんばおり)や姫君(ひめぎみ)などの着物にもほどこされるようになり発展したと考えられている刺繍(ししゅう)です。

着物の半襟(はんえり)に刺繍を入れたのが、昭和の初めに全国的に有名になりました。着物や帯(おび)になる、模様(もよう)がない布(ぬの)に下絵をかいて、絹糸(きぬいと)や金糸(きんし)、銀糸(ぎんし)を使って立体感のある刺繍をする技法(ぎほう)です。

加賀縫をする人の手元の写真
加賀縫の着物の写真

加賀毛針(かがけばり)

 

加賀藩の時代に、川づりは武士(ぶし)の特権(とっけん)でしたが、明治時代になると、市民にもつりがゆるされて、専門(せんもん)のつり針(つりばり)屋が多くなりました。川づりの中でも鮎(あゆ)つりでは、毛針(けばり)と呼ばれる専門の疑似餌(ぎじえ)が使われます。毛針は、1センチメートルほどの小さなつり針に、虫の体毛ににせて羽毛をまき付けたり、漆(うるし)や金箔(きんぱく)を使って、水中でも光る虫の目のようにするなど、繊細(せんさい)な技術(ぎじゅつ)で作られます。

加賀毛針をする人の手元の写真
加賀毛針の写真

【ちょっとコラム】御細工所(おさいくしょ)

 

「御細工所(おさいくしょ)」は金沢城内(じょうない)にあった役所で、細工人が大名(だいみょう)の調度品や幕府(ばくふ)、朝廷(ちょうてい)へのおくり物などの工芸品を製作(せいさく)していました。初めは、武具(ぶぐ)や武器(ぶき)を修理(しゅうり)していましたが、京都や江戸から高い技術の職人(しょくにん)をまねいて細工人を指導(しどう)させたことで、御細工所の細工人だけでなく、まちの職人もすぐれた技術を持つようになっていきました。

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