金沢の文化の人づくり奨励金制度インタビュー(石井様・望月様)

黄色と紺色の着物を着た女性2名が向かい合って座り、太鼓と、四角い箱のようなものを叩いている写真

伝習者: 石井 愛美(芸名:凛)様

地元の文化にふれあう

職業として芸妓を選び、そして素囃子を習おうとした思ったきっかけは何ですか。

 京都の大学に通っていた頃、先斗町のお茶屋さんでアルバイトをしていたときに花街の文化を知り、舞妓さんや同年代の芸妓さんがとても一生懸命、熱心に芸のお稽古をされているのを見たり、また、いろいろな踊りを拝見する機会があり、とても興味深い世界だと思い、「ああ、何かいいな」というふうに思ったのがきっかけですね。もともと高校まで金沢で育ったので、どうせやるのなら地元の文化にふれあいたいという思いから金沢に帰ってきました。

初舞台 金沢おどり

素囃子を習う中で、辛かったことやうれしかったことなどがあれば教えてください。

鼓を叩く黄色い着物を着た女性の横顔の写真

 京都では、みんなで並んで素囃子、という文化があまりなく、このまちに入って素囃子というものを本当に間近で見ました。また、これまで舞台を見るだけで、何もお稽古はしたことがなく、鼓なども触ったこともなかったのですが、普通だったら出られないだろうなという「金沢おどり」の大舞台に、先生にお稽古いただいて、出させていただいたんです。今考えても、普通だったら私は出られなかっただろうなと思います。
舞台では、先輩方の横に並ばせていただいて、やはり緊張もしますし、思うようにいかなかったりとか、手が震えたりとか、そういう面では大変というか、苦しいなと思うこともありました。でも、その反面、それを見てお客さまから「上手になったね」とか「良かったよ」とおっしゃっていただいたことが、やはりとてもうれしく励みとなりました。

ご指導を受けている先生への思いを聞かせてください。

 先ほどもありましたが、本当にやったこともない、ど素人中のど素人に、先生は一から本当に丁寧に教えてくださって、舞台に上がらせていただく機会を与えてくださいました。舞台に上がらせてもらうことで、自分も頑張らなければいけないなという思いにもなりますし、本当にありがたいです。

職業として、この道を選んでよかったですか。

 非日常というか、私も就活して内定も頂いていたので、そちらの仕事に就こうかなと思ったときに、OLさんになるのだったらいつでもなれるかもしれないのですが、この世界に入るのは早い方がいいということで、後悔したくないなという思いもあり、この世界に入りました。やはりこの世界に入らないと絶対に経験できなかったことが多く、素囃子を習わせていただくのも、すごくいい環境で習わせていただけましたし、絶対にお会いできない方とお会いできたりとか、舞台に立たせていただくということも、普通だったら経験できないことではないですか。芸妓さんになったことでたくさん経験できることが、本当に楽しいと思います。もちろん大変な面もありますけど、選んでよかったなと本当に心から思っています。

全国から来られるお客さまもいらっしゃると思うのですが、そういった方々からの温かい声援も増えたのではないですか。

 素囃子をやらせていただく機会が、本当にありがたいことに増えたので、たくさん「よかったよ、よかったよ」、「素囃子、いいね」と言っていただけます。私もこの世界を金沢に帰ってきて知ったというか、京都にいたときには見なかった世界だったこともあって、金沢の良さを感じました。
 本当にたくさんの方が応援してくださり、奨励金等で背中を押してくださり、先生にも一生懸命教えていただいているので、少しでも早くうまくなって、先輩の姉さん方に近づけるように一生懸命努力したいと思っています。

金沢の文化の担い手として努力し続けたい

金沢の文化の担い手として想いをお聞かせください。

黄色い着物を着た女性が、正座をして、両手にバチを持ち締太鼓をたたいている写真

生まれ育った金沢で、これが当たり前だと思って生活してきましたけど、大学で京都へ行ったりとか、いろいろなところへ遊びに行ったりすると、やはり金沢というのは古いまちなみが残っていたりとか、伝統文化とか芸能がすごく盛んだったりして、素敵なまちだと思います。
 東京とか大阪みたいに、商業施設や娯楽施設はまだまだ少ないですけれども、その中でも市外の皆さんが金沢に来たいと思ってくださったりだとか、金沢の人間が金沢ってすてきだと思うのは、やはり伝統芸能や文化が栄えているからではないかというふうに感じますし、その一つに素囃子が大きく関わっていると思うので、その担い手の一人として自分が一生懸命頑張っていけたらと思います。
私は、この世界には、芸がしたいと思ったのと、舞妓さんがすごく一生懸命頑張っている姿にあこがれて入りました。自分もそういうふうに一生懸命努力し続けられる芸妓さんになりたいと思います。

奨励金がこの世界に入る励みに

金沢市の奨励金制度について思うことがあればお聞かせください。

 そうですね、この世界に入って3カ月ぐらいは見習い期間があり、その後も、たくさん着物を買ったり、カツラを買ったり、いろいろなお金がかかるので、女将さんに最初は資金を貸していただいて、商売に出てから返していきます。
 お稽古代や着物代なども含め、資金がかかる職業でもありますし、お仕事が定期的にあるわけではなく、月によってすごく変動したりするお仕事なので、奨励金制度は本当にありがたいという思いですね。
 また、この世界に入る前に、金沢市や石川県がこのように芸妓さんだったり素囃子の伝習者の方に奨励金を出しているのを知って、芸妓さんになるという、花街に入るということの励みになったというか、すごく認められている職業だったり世界なのだなと思った一つのきっかけになりました。

育成者: 望月 太満 様

応援が感じられる制度

ふるさと納税の寄附金を基金に積み立てし、文化の人づくりに活用する金沢市の制度について、何か想いがあればお聞かせください。

 一言で言えば本当にありがたい制度で、さすが文化創造都市・金沢だと思います。私たちは教える立場ですが、習いに来る人たちも、それぞれ一生懸命やっていて、それを応援しようという雰囲気が感じられるので、しっかりやろうという気にもなりますし、市からの応援というものはすごくありがたいですね。
 教える方、習う方、それぞれの立場で、一生懸命教えよう、一生懸命習おうと思って、それが相まって芸の上達につながるのです。伝統芸能を残さなければとおっしゃる方はたくさんいらっしゃいますけれども、それを応援してくださる制度があるかぎり、金沢にいつまでもこの文化が残っていくのではないかという思いです。

まずは、人材

素囃子の裾野を広げて後継者を育成する上で、常に大切に思われていることがあれば教えてください。

紺色の着物を着た女性が、両手に細い棒を持ち、四角い箱のような物を叩いている写真

 後継者の育成には、私たちがいくら頑張っても、習う人がいないといけませんが、門戸を広げると言っても私たちは勧誘して歩くわけにはいきません。
 金沢の素囃子子ども塾という制度は平成17年から10年近くたちますが、その間に120人くらい卒業していっている中で、大学へ行ったり、金沢を離れたりされる方もいらっしゃいます。そんな中で、将来その人たちが「またやろうかな」と思ってくれるためには、和楽器に触ったことがあるということだけも違うと思います。
 ですので、子どもたちにも分かりやすく、でも、本物を教えていかないといけないと思っています。いい加減な、童謡みたいなものばかり教えていると、それは金沢素囃子とは言えないので、なるべくそれに近づけられるように、優しく厳しく教えています。そういう子どもたちが一人でも育っていってくれたらという思いでやっていますし、ありがたいことに新幹線効果か、若い芸妓さんたちも増えていますので、その人たちをお座敷に間に合うように一生懸命教えております。
 「鉄は熱いうちに打て」ではないけれども、やはり小さいうちから始めると、飲み込みが早いです。だから子ども塾を見ていると、全然知らない子たちが入ってくるのですが、2年たって卒業していくときには、「いや、うまいな」という感じになります。その子たちがいつか、自分はこういうことをやったということを人に言ったり、自分ができない環境であっても、例えば会を見に行こうかとか、金沢の文化に理解がある人材が育つのではないかという思いがあります。
 道を極めるところまでいかなくても、働きだして、また自分で習おうかなという人も出てくるかもしれないですし、そういうことに少しは貢献できるかと思っております。

芸事は坂道

ご自身の芸を高め、極めるために、普段から心掛けておられることがあれば教えてください。

 気を抜くと私でも絶対に芸のレベルは下がりますし、一カ所にとどまろうと思うためには、大変な努力をしていないと下がってくるという怖いものなのです。やはり上には上がありますから、東京の先生のところへまだ毎月お稽古に行っています。やはり知っているものだけ教えていると、だんだん芸のレベルも下がりますし、金沢も、本物の芸事というのは現代にあわせて進んでいると感じています。昔ながらのことをやっていると古臭く感じるので、やはりいろいろな方に見ていただくこともありますし、お弟子さんに教える立場としても責任がありますので、きちんとしたことをやらないといけないと思います。

望月流を受け継ぐ

望月流を受け継ぐ家に生まれ、いつのころから芸の道を意識されてこられたのでしょうか。

 私の母は、祖母から「絶対に継いでくれ」と言われたらしいのですが、それが嫌で、母は私には強制しませんでした。ですが、やはり同じ家の中にいますと、お弟子さんのお稽古の音が聞こえてきて、門前の小僧ではないですが、自然と習うように、その道ができるような流れがあったのではないかなと、今では思っています。
 私の娘も、現在指導者の身ですが、祖母が初代なので、次の代にこれを金沢の文化として何とか残していきたいと思っております。
 素囃子というのは総合芸術であり、例えば、お囃子と長唄と和楽器のオーケストラなので、一人ではなかなか大変です。指揮者がいないので、指揮者がいなくてそろうには、それなりのしっかりとした人がそれぞれにいないと駄目なので、それで必然的に協力すると、お互いに芸を高められるのです。私は今、娘とやっているのですが、やはり助かります。母もそういう思いだったのかなと思います。

伝統に理解ある金沢

金沢のまちに対する想いをお聞かせください。

 私は金沢というまちが大好きで、全てにいい加減ではない、本物のまちではないかと思っています。市がなさってくださることもそうだし、まちの人たちも、適当ではない人たちが育っていると思います。
 また、戦災に遭っていないこともあり、芸に使用する道具なども燃えなかったので、われわれが使う鼓なども全て古美術なので、そういうものが残っているということがやはりありがたいことです。
 金沢の人たちも皆さん、伝統芸能、伝統工芸にすごく理解がありますよね。だから本当にありがたいことだと思います。

金沢には、伝統芸能、伝統工芸の技術者たちを育んできたまちの土壌があるということですね。

 そうですね。これはやっぱり、ありがたいことに前田家の土壌でしょうね。だから自然と習い事をするとか、そういう習慣が今もずっとつながっているのではないでしょうかね。金沢は大好きなまちです。
 芸者衆に関して言えば、金沢のまちの本当にプラスアルファの魅力だと思うのです。この人たちを守り残していかないといけません。素人さんでやっていらっしゃる方もいらっしゃるけれども、芸者衆は引き受けたら絶対に責任を持ちますから、素人さんは駄目というのではないけれども、ご主人が何だとか、おばあちゃんがどうだとかいうと、どうしてもそちらが優先になるので、やはり生業としている芸者衆が必要です。素囃子というのは一人でできないでしょう。「一調一管」などというのは珍しいもので、やはり迫力があって大勢でやるのが素囃子なので、例えば一つの舞台に上がる十何人という人を確保しておかないと一つの仕事を引き受けられないので、お弟子さんを大事にして、私もこれから一緒に勉強していきたいと思っています。
 教えながら、「ああ、こう言うと、こういうふうに伝わるんやな」とか、「この言い方は悪いな」とか、「もうちょっとこう言った方がいいかな」とかと、私も研究しながら毎日お稽古をしております。

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