金沢の文化の人づくり奨励金制度インタビュー(柳井様)

白い陶器が並んでいる室内で話をしている柳井 友一氏の写真

伝習者: 柳井 友一 様

大量生産大量消費から本質的なものづくりの道へ

陶芸を始めたきっかけは何ですか。

奥にパソコンが置かれている室内で柳井 友一氏と男性が向かい合って話をしている写真

私は、美大(金沢美術工芸大学)の中でも製品デザイン科を専攻していて、ルーツとしては工業製品の入口から工芸に行くことになるのですが、もともとデザインを学んでいたので、大学時代は工芸と全く関わりのない状態からのスタートでした。
大学を出てから東京に勤めて5年たったぐらいのタイミングで、家電製品のデザインをしていたのですが、大量生産大量消費のプロダクトを生み続けることへの心苦しさというのがどんどん出てきました。
登場して半年あまりで値が半値にまで落ちて、家電量販店でたたき売りされているような現状で、自分たちが最適なデザインを生み出しても、中身が古いというだけで、どんどんサイクルされてしまい、「消費されるデザイン」に先がないなというのをまず考えました。あと、オーディオメーカーに勤めていたのですが、昔、CDだったのがMDになって、メモリスティックになって、今はもうウェブからダウンロードして、再生プレイヤー自体がない。
もともと本質的なものづくりで人の手の触れるものを作りたいと思っていたので、そういったデザインとするところがハードの部分ではほとんどない世界や、そういうところがなくなっていくメーカーの先が見えてしまったときに、ここにずっといても自分の未来はないなというのを感じました。
そんなとき、陶芸作品を見る機会があったときに、一番プリミティブな作品づくり、製品づくりというのを「器」に見出して、それで、ここで一回区切りをつけて、手に職をつけようと思ったんです。一からろくろをやったり、そういうところを勉強したいなというので、陶芸の道に入ることになりました。

「器」をつくるため金沢に

会社を退職して、すぐに金沢市内の研修施設である卯辰山工芸工房に入ったのですか。

 卯辰山工芸工房へはもともと技量を持っている人でないと入れないので、私はそのときは陶芸の知識は全くなかったため、いったん岐阜県多治見市の専門学校に2年間入ることになりました。そこで2年間、一から手仕事の技術を全部覚えました。もともとデザイナーだったということもあったので、いろいろな器を作るときに、汁物に陶器だと熱くて持てないということなどがあると思うのですが、そういった用途に応じた素材選びをしていきたいと思いました。
 いろいろな工芸を重ねて製品、作品を作っていきたいという思いがあったので、そのときに自分のものづくりのルーツである金沢を振り返ったときに、卯辰山工芸工房というのがあるぞというので、専門学校を卒業して、すぐに金沢に来ることを決めました。

金沢で起業しようと思ったきっかけは何ですか。

 当時は起業しようというよりは、自分で作家としてやっていこうという思いだったのですが、この会社の代表の上町とは、実は大学の同級生でして、彼は3.11の後に自分の生活スタイルを見つめ直す機会があって、食に関わる仕事がしたいということで、私とは別のルートで会社を辞めて金沢に来ていたのです。そこで再会して、彼は最初、こちらでレストランをやることになるのですが、そこで使う器を作ってくれという話をもらって、「じゃあ、一緒にやろうよ」といった、そういうラフな関係からスタートしました。
 彼はもともと目標もあやふやの状態で会社を立ち上げており、そこに私が参画する形になって、こういうseccaという活動が始まっていったのですが、最初は本当に手探りで、いろいろな料理人さんに向けた一皿から作っていくようなことからでした。もともと二人とも工業デザインの専門でもあるので。彼はニコンでカメラのデザインをしていて、同じようなフィールドがあり、それぞれデザインの請負と、ここでしかできない料理人さんに向けた一品のお皿から、空間までいろいろなものを今やっています。

金沢に惹きつけられて集まったseccaメンバー

金沢は、全国的に見ると、伝統的なまちであるゆえに閉鎖的なイメージがあるようですが、起業するにあたって、そのように感じたことはありますか。

ガラスのコップや黒い陶器のグラスが置かれた机の奥に座る柳井 友一氏の写真

 金沢はむしろ若者、バカ者を受け入れる土壌があると、福光さんもよく言われているのですが、私たち自身も金沢の人たちに柔軟に受け入れられているかどうかは分かりません。でも、こういう場所でやらせていただいているのは、やはりご縁があってなので、そういうよそ者を柔軟に受け入れる土壌はあるのかなと思っています。
 実際、ここにいるメンバーで金沢出身の人は一人しかいません。あとはみんな県外の人で、私も島根県出身ですし、代表の上町も岐阜県、一人は京都です。みんな金沢が大好きで、この土地に集まって、ここでずっと制作を続けていくのを夢にしているようなメンバーばかりなので、何かしらそこにひきつけられる金沢の魅力というものがあるのかなと思っています。
 この下の5階に木工工房があるのですが、彼はギターを作る職人であり、私は陶磁器専門なので、当然、木工の技術は知らないわけで、でも、そこにものづくりという共通の言葉で語り合えたり、いろいろお互い刺激し合える部分があったりするので、木工でこういう技術を陶芸に持ち込んだらこんなことができるという新しい制作の組み合わせが、今生まれています。お互い、陶磁器の作り方を木工にアドバイスしたり、そういう意味での刺激は常にありますね。
 seccaのメンバーはひとりひとり自分の本当に尖っている得意分野をそれぞれ持っていて、それぞれがプロフェッショナルなので、そこが交わることで新しい反応を常にライブ感覚で、みんなで話し合いながら楽しみながらやっているというような状況です。

柳井さんは金沢市の文化の人づくり奨励金を活用して佐賀県に有田焼の実地研修に訪れていますが、どのように思っていますか。

本当に明日日銭を稼がなければいけない作家さんはすごく多く、個人でそのような研修のようなことをするとなると、やはりこういう奨励金制度のようなきっかけがないと行けなかったと思います。なので、みんなどんどん活用すればいいのにと思います。
 最初に卯辰山工芸工房の先生からお話を頂いて、どうしようと思ったのですが、でも、こんな機会はそんなにないだろうし、これは何かのご縁だと思って、すぐいろいろ調査をして臨みました。ただ、受入口をきちんと選定して2週間スケジューリングを組むのはすごく大変でした。
 実際に窯元さんや窯業試験所さんに、産地のいろいろな場所や原料が作られるところから、成型されて焼かれて販売される一連の流れを見せていただいたり、実際に現場で釉薬のお手伝いをさせていただいたりとか、そこで制作を進めたりもしていました。でも、見てみると、自分たちがやっていることが、逆に言えば、今のやり方で勝負できる、そんなに遅れていないというか、むしろ追いつける範囲だということという確認ができたのは、すごく大きい収穫でした。
 有田焼の実地研修の経験は、今実際に量産の物にはかなり応用させていただいています。有田自体が九谷焼のルーツでもあったりする、磁器の発祥の地でもあるので、そこを一度見ておきたかったというのもありますし、磁器の量産技法というのもそこで確立していたりするので、そういう成形部分の一番最高峰の有田の窯業試験場を視察させていただいて、世界で見ても稀有なぐらい技術が高いそこでの型の技術等を自分なりにめちゃくちゃ吸い取って、実際隣の工房でも、その技術を応用して新しい事例づくりをどんどん進めています。
 2週間の滞在でしたが、今こうやって事業をやっている中で、それだけまとまった時間をつくることはなかなかできないということもあり、割り切って集中できる素晴らしい期間だったと思います。

今の時代に即した。けど、自分たちにしかできないこと

市が率先して、奨励金制度等を通じて若手の作家さんの創業支援を行っていることに対してはどのように感じていらっしゃいますか。

平たく丸い円のお皿や白い陶器の器の作品などが並んでいる写真

 岐阜(多治見市)にいたときは、産地ではあるのですが、そこに文化があるかというと、あまり根付いていなくて、金沢ですと本当にいろいろな工芸が集まったりとか、多種多様なお店とか飲食店とか、それこそ芸妓さんも多いですし、何百年続く文化がずっとあるので、そういうところをしっかりずっと継続する仕組みがある金沢というのは、はたから見てすごくうらやましがられます。
 金沢をモデルケースに他の地域がそれをまねしていくような形があると思うのですが、岐阜でも、ようやくそういう制度が作家に割り当てられるような話を最近聞いたりするので、そういうところを金沢自体がアップデートしていって、作り手ばかりフューチャーするのもあるかもしれませんが、そこら辺の循環がうまくいくよう、若手や次の担い手が育つ仕組みがあればいいかなと思います。でも、あまりおんぶに抱っこだとみんな甘えてしまうので、そこら辺の線引きがすごく難しいと思いますけれど。
 金沢は歩いていても、私は職人にあまり会ったことがないですが、実際作り手は多いと思います。前田家から続く御細工所という文化の中で、当時は工芸自体が最先端でありましたが、今は伝承などは割と保守的な流れが強いという中ところで、自分たちは「現代」の御細工所としてものづくりや工芸を引っ張っていくリーダー的なポジションとして金沢がそこになければいけないと思います。浮いていてもいいので、そういうめちゃくちゃな事例というのをどんどん目指して、むしろ変えてやるぐらいの、そういうスタンスでいけたらいいなと思っています。
 こういう工房で同世代の異なる素材の仲間というのがいるので、そういう人たちを巻き込んで色々新しいプロダクト、ないし工芸作品というのを作っていきたいなと思っています。
 また、卯辰山工芸工房を出た後にすぐ地元に帰ってしまう子が一部いたりするので、そういう人たちがもっとこの土地で根付いて、何かできる仕組みとか、その人たちが何かしらここで活躍できる場所がもっとあったらいいなとも思います。

金沢から世界へスペシャルな一皿を

今後の抱負や夢についてお聞かせください。

 最初はマスプロダクトみたいな想定はなかったのですが、ご縁あって、末永く使えるものがたくさんの人に知れわたっていくかたちと、この土地に根差している料理人さんたちと、本当にそのお店でしか使われない、その料理に向けた器というのを一緒にアイデアを出しながら作るかたちの、大きく2種類の方向性で制作しています。その意味では、少なくてもその人に向けたスペシャルな一皿というのを世界中のシェフといろいろやっていきたいというのが一つの目標であり、それを東京から発信するのではなくて、金沢に世界中からシェフが来てもらって、ここの土地の食材や文化に触れてもらいつつも、私たちの周りで協力しているメンバーで作り上げた器をどんどん紹介していき、文化のつながりを世界中に広げていけたらというのが今の目標です。
 そのお店にしかない器をしっかりと発信していって、食事だけではなくて、器もすごいのだぞということを伝えていきたい。金沢独自の食文化をどんどん広げていくために、料理人さんも資金的に結構大変な側面もあるので、私たち自身が「器」を提供できるような仕組みを作ろうとしています。料理人さんたちとのコラボレーションは本当にブランディングに徹して、今後はどんどん提供していって、新しい事例が生み出せるような仕組みを、クラウドファンディングではないですけれども、新しい事例がどんどん生み出せるやり方を今探しているところです。
 その結果、わたしたちの「器」を世界中のシェフに使っていただくこと。それにより金沢という土地を知ってもらって、逆に来てもらう。金沢という文化に、いろいろな刺激が与えられるような場所にしていけたらなと思っています。食だったり、私たちの工芸だったり。いろいろな意味で、世界中から人が集まる、金沢をそういうところにしていくのも一つの目標です。

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