大乗寺御霊堂・碧巌蔵 附棟札
有形文化財 建造物
大乗寺御霊堂・碧巌蔵 附棟札(だいじょうじごれいどう・へきがんぞう つけたりむなふだ)
所在地 | 金沢市長坂町ル10番地 宗教法人大乗寺 |
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市指定文化財 | 平成30年4月2日指定 |
大乗寺は野田山丘陵の一画に位置する曹洞宗寺院です。正応2年(1289年)永平寺第3世徹通禅師によって野々市で開山され、加賀守護富樫家の菩提寺でしたが、一向一揆の発生に伴い、庇護者である富樫家を失い寺運は衰退しました。天正末期に、金沢木ノ新保に移転復興した後、本多家上屋敷付近や本多家下屋敷付近へと移り、しばらくは寺地が不安定でしたが、寛永末期に加賀藩重臣本多家の菩提寺となった後、元禄年間(1688年~1702年)に、現在地に移転し、伽藍が整備されました。仏殿が重要文化財に、主要堂宇を構成する伽藍部分が、県指定文化財に指定されています。
御霊堂は、加賀八家筆頭である本多家歴代当主の位牌を祀る建物で、建立年代は江戸時代末期と推定されます。装飾性の少ない造りとし、一室からなる堂内は、天井が格天井で、三方に配した位牌壇の上に歴代の位牌を並べた質実な空間となっています。また、かつては金砂子の壁紙がもちいられ、荘厳な空間が演出されていました。
藩政期の加賀八家の御霊堂として市内に残る唯一のものであり、藩主及びその家族、縁者の御霊堂以外にも、他藩でいう家老階級にあたる大身の家臣が独立した御霊堂を持つという例は全国的に見ても珍しいものと言え、加賀藩の行政組織の独自性が示される貴重な建物です。
碧巌蔵は、大乗寺の重要な典籍である碧巌録を納める宝蔵として建てられたもので、2階天井に打ち付けられた棟札から建立年代が寛政4年(1792年)と判明します。棟札には建立年代のほかに大工棟梁などの名前が書かれています。
市内において数少ない宝蔵や経蔵に類する土蔵造の建物のひとつであり、唐破風造の向拝や繰形意匠を用いた漆喰壁、支輪(しりん)を付けた組物廻りなどの装飾性は、江戸時代後期以降に装飾的に発達していく土蔵造の宗教施設の先進例としても指標となる建物です。