高岸寺本堂・鐘楼 附 棟札七枚

有形文化財 建造物
高岸寺本堂・鐘楼(こうがんじほんどう・しょうろう) 附(つけたり) 棟札7枚(むなふだななまい)

高岸寺本堂・鐘楼の詳細
所在地 金沢市寺町5丁目2番25号 高岸寺 地図など(金沢市観光協会)
市指定文化財 【市指定文化財】平成20年5月1日指定

高岸寺は日蓮宗寺院で、「高岸寺由緒書」によれば前田家家臣高畠石見守が一族の菩提所として開き、もとは石川郡鶴来にありました。天正15年(1587年)、割出の下屋敷を寺地として大豆田から移り、その後泉野寺町(現在の諏訪神社の地)に移転、寛永13年(1636年)現在地に建立されました。
高岸寺本堂は日蓮宗寺院方丈型の大規模本堂として発展した到達点を示す遺構として貴重であるとして、鐘楼は祠堂上にのる2階建てで、このような形式は市内に類例がなく、その形態は特徴的です。また、本堂と鐘楼が一体となった高岸寺の外観は、寺町通りに面する寺院群の中核として景観上重要な位置を占めています。

本堂

上段:大きな桟瓦葺き屋根で作られている本堂外観の写真、中段:破風板を出窓のように独立して葺き下ろしの屋根の上に置いた向唐破風造の式台玄関上部のアップ写真、下段:広々とした和室の奥に焼香台や仏壇がある本堂内部の写真

本堂は、正面梁行柱間4間(実長11間)・桁行柱間5間半(実長8間)、切妻造妻入、桟瓦葺きの建物で、正面中央に向唐破風造の式台玄関が設けられています。本堂の建立年代は、棟札により文久元年(1861年)であることが判明しています。
式台玄関は内陣正面の位置に付きますが、建物全体から見ると上手に寄っています。正面を桟唐戸引き違い、両側面は壁として全面を床板敷きとしています。几帳面取角柱をたて頭貫を通して実肘木付き出三斗を柱上に置き、中備に拳鼻付きの平三斗を飾ります。痕跡により当初こけら葺きであったと推定されています。妻飾りは、虹梁蟇股で斗上には絵様肘木を介して唐棟を受け、軒は一軒疎垂木で木舞裏としています。
本堂正面は妻面を大きく見せて装飾的であり、虹梁大瓶束として大瓶束の両脇に蟇股を置き、その脇の束間には、海老虹梁を架け、虹梁下に拳鼻付き平三斗をのせた大蟇股を飾ります。母屋下に拳鼻付きの組物を多用し、妻面下部は化粧貫を見せて束間と側廻りの柱とを合わせており、意匠上の計画性が見られます。
本堂平面は、庫裏側に二間通りを付加して二室とし、全体で八間取りを構成しています。正面入側2間半通りを広縁(本来は外陣)として、内陣正面を除き両側に畳を床上に置き、正面側半間通りを板間としています。天井は一連に竿縁天井が張られています。正面側柱上に絵様肘木を置き、その他は全て小屋組まで柱を建ち登らせて梁および桁を受けています。
内陣は中央柱間1間(実長3間半)を背面まで一連に深くとり、背面柱筋に来迎柱をた立てて須弥壇を据え、両脇柱間は背面に設けられた位牌壇への通路にあて、庫裏側へ廊下を渡して接続しています。内陣両側面には上の間筋に18畳・15畳、下の間筋に15畳・12.5畳の構成です。上の間・下の間列は柱間二間通りとしています。
内陣廻りでは、正面に長押を打たず、建具もつけず、一段高く虹梁を架け開放的に扱っています。来迎柱以外はすべて面取角柱で、内陣内側では頭貫を通して組物は和様の出組拳鼻付きを詰組とし、中備に蟇股を配し、来迎柱間には虹梁を架けています。内法長押上部には両脇間ともすべて欄間がはめられており、床は拭板敷きとして畳を追い廻しに敷き、折上格天井が張られています。

鐘楼

樹木の間に外壁が白と茶でできた木造の2階建ての鐘楼の建物を正面から写した写真

鐘楼は、本堂広縁向かって右手に連なる祠堂の2階に建つ入母屋造・桟瓦葺きの建物です。下層は祠堂で切妻造・桟瓦葺き、奥に鬼子母神を祀る仏壇を設けます。鐘楼は祠堂のほぼ中央に位置し、井桁上に面取角柱(粽付き)を立て頭貫(先端木鼻)・腰貫を通し、台輪を据えて実肘木付き出三斗を柱上に置き、中備には蟇股を配し、内部では天井を張っていません。
各面には花頭窓を開き、四周に縁を廻らして擬宝珠高欄を据えます。軒は一軒疎垂木、化粧木舞裏とし、妻は木連格子で破風拝みに鰭付きの猪の目懸魚を飾ります。本堂と祠堂のつながり方に不自然なかたちが見られることから、一方の建物が再建時に移動していると考えられます。
小屋裏から発見された棟札によれば、鐘楼は寛政9年(1797年)の再建となりますが、その棟札が祠堂のものである可能性も残っており、今後の研究が待たれます。

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