松風閣(旧広坂御広式御対面所)附棟札

有形文化財 建造物
松風閣(旧広坂御広式御対面所)附棟札
(しょうふうかく(きゅうひろさかおひろしきごたいめんじょ)つけたりむなふだ)

松風閣(旧広坂御広式御対面所)の詳細
所在地 金沢市本多町3丁目53番1
市指定文化財 平成31年4月1日指定

 松風閣は、本多町3丁目地内、北陸放送株式会社敷地内に位置します。敷地を含む一帯は、江戸時代は加賀八家筆頭本多家の中屋敷地と下屋敷地があった場所で、建物の東側には市指定文化財である松風閣庭園が広がっています。
 建物は、第12代藩主前田斉広(なりなが)の娘・寿々姫(すずひめ)が、天保5年(1834年)に本多家第9代政和(まさかず)の室として輿入れした際に、本多家上屋敷に造営された広坂御広式の一部の御対面所が現在に残るものです。寿々姫は輿入れから僅か7か月後に亡くなり、その後、広坂御広式は取り壊され、御対面所だけが天保14年(1843年)に本多家上屋敷地内で移築されました。この移築を行った大工棟梁・竹下半次の名前が記載されている棟札が現在も小屋裏に残り、建物とともに附指定されています。明治19年(1886年)には本多家上屋敷が陸軍省用地に移管され、御対面所だけが中屋敷地に移築されました。明治40年(1907年)に再度移築され、現在の位置となりました。
 市内に残る加賀八家上屋敷の住宅施設として唯一の遺構であり、かつ藩主斉泰(なりやす)が妹である寿々姫の輿入れのために造った極めて特別な建物です。特に「御対面所」と「二ノ御間」境に見られる彫刻欄間は、藩に仕えていた木彫名工である武田友月作と伝わり、その豪華さを物語っています。また、近世だけでなく明治期以降も、本多家によって移築保存されてきたことは、前田家と本多家の関係性を如実に表すもので、城下町金沢の歴史が連綿と現在に伝わることを実感させてくれる建物と言えます。

縁側のある木造平屋建て「松風閣」の外観写真

外観

和室の襖が開いており、襖の奥にも和室がある御対面所の写真

御対面所

この記事に関するお問い合わせ先

文化財保護課
郵便番号:920-8577
住所:金沢市広坂1丁目1番1号
電話番号:076-220-2469
ファックス番号:076-224-5046
お問い合わせフォーム