本興寺文書

有形文化財 美術工芸品:古文書
本興寺文書(ほんこうじもんじょ)

本興寺文書の詳細
所在地 金沢市薬師町ロ75 本興寺
市指定文化財 昭和37年11月3日指定
平成18年4月11日追加指定

本興寺は、室町初期に京都妙顕寺4世日霽が同寺を日像門流の加賀における中本山定めて以来、その地位にありました。文書は本興寺に伝来する戦国時代の法度(寺法書)と、それに関連する本興寺の本山にあたる京都の立本寺歴代住職および同寺役僧から主に本興寺の衆檀へ宛てた書状類から成ります。
寺法書2通のうち永正9年(1512年)5月26日付のものは、京都法華21箇本山の一つである立本寺9世の日俊が、加賀国下向に際し、同国の末寺僧衆および檀方の訴訟公事などについて定めたものです。内容は、宗門内の争いごとの際には、当事者を除く門流の僧檀が本興寺に集会し、宗旨の法度に拠ってこれを談合・糾明するとあります。論人・訴人の双方が衆議の沙汰を承引しない場合は、惣中として立本寺に注進し、成敗を仰ぐものとしました。また、法度を無視し、横暴な行為におよんだ時は、本興寺の集会で協議の上、双方を門徒から追放するとしています。元亀元年(1572年)8月3日付の法度追加は、立本寺の役者が作成し11世日抽が袖判を加えて承認したもので、従来の法度の内容を再確認し、新たに寺領・寄進物の横領停止や本興寺後継住職をめぐる抗争を戒めています。
また、戦国末期本興寺の住職であった日逸および日孝と同寺衆檀との確執や後継住職をめぐる動きを知らせる日抽や日忍・日威・日悟の書状の内容は、元亀3年の寺法書の成立背景を探る上でも興味深いものです。日純や日弘などの書状は、本興寺から本山の立本寺に送られた贈答に対する礼状ですが、近世初頭においても加賀三谷の法華寺院が京都の本山と深く結びついていた事情を伝えています。さらに、贈答品に綿が常に使用されていることが注目されます。これらは戦国期から織豊期において、加賀国河北郡の三谷の地で、特産として綿の生産が盛んであった状況を窺わせるものです。
一向一揆支配の戦国期の加賀において、日蓮(法華)宗の教線が河北郡三谷の地域で本興寺を中心に結束をはかりつつ、深い信仰を守りつづけた歴史を知らせるものとして、極めて重要です。

筆で書かれた本興寺文書の写真

(上)成敗之条々、(下)定追加条々

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