加賀藩校扁額

有形文化財 美術工芸品:歴史資料
加賀藩校扁額

加賀藩校扁額の詳細
所在地 金沢市角間町 金沢大学資料館
市指定文化財 平成29年6月29日指定

 加賀藩の藩校は、寛政4年(1792年)に11代藩主前田治脩(はるなが)によって創設された。
 藩校とは、藩士の子弟を教育する機関のことで、武士の教養として「文武両道」が重んじられたため、加賀藩でも文学校「明倫堂」と武学校「経武館」の二つが設けられた。
 明倫堂では、朱子学(しゅしがく)を中心として和学・漢学・漢医学・算術などの多彩な科目を学ぶことができた。経武館では、馬術・槍術・剣術・柔術・軍螺(ほら)・組打の学科があった。明治3年(1870年)に明倫堂が廃校となると、校舎は中学西校として利用され、翌年には中学東校と合併して金沢中学校となり、のちに石川県師範学校の一部となった。また、経武館は洋学校である壮猶館が創設されると、明治元年(1868年)に壮猶館に併合されてその歴史に幕を閉じた。
 両扁額は明倫堂と経武館に掲げられていたものである。先に完成したのは明倫堂の扁額であり、揮毫(きごう)は初代学頭の新井白蛾(あらいはくが)によるものである。経武館の扁額は、明倫堂のものと比して一回り小さく、前田土佐守直方(まえだとさのかみなおただ)によって揮毫された。また、額の細工は、両方とも加賀藩細工所の木彫師である沢阜忠平(さわおかちゅうべい)の手によるものである。明治以降、この扁額は石川県師範学校の講堂や武道場などに掛けられていたが、戦後、金沢大学教育学部の所蔵を経て、現在は金沢大学資料館に収蔵されている。
 両扁額とも全体に黒漆が施され、構造はほぼ同一である。額面はケヤキの一枚板で作られており、文字の輪郭を片刀彫(かたきりぼり)にし、文字面全体を浮き彫りにして金箔が押してある。額面の四方には枠を取り付け、中央は溝を彫って着色してある。額縁は花先形(はなさきがた)の刳形(くりかた)を箱組に取り付け、小口に金箔を押し、四隅と長辺中央の計6か所に花先形金具を鋲止してある。額面の裏面は横2本・縦5本の梁で補強し、縦梁の中央3本の上方に2か所、下方に3か所の吊金具を付けてある。現状では表裏面ともに銘は認めらない。
 加賀藩校扁額は、制作過程及び来歴も明らかで、学都金沢の原型となった藩校の歴史を現代に受け継ぐ貴重な資料である。また、現存する全国諸藩の藩校扁額の中でも最大級のもので、希少価値が高く、金沢市指定文化財として十分な価値を有するものである。

ケヤキの額縁に金色の「明倫堂」と文字の入った扁額の写真

明倫堂 扁額

ケヤキの額縁に金色の「経武館」と文字の入った扁額の写真

経武館 扁額

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