宇多須神社文書

有形文化財 美術工芸品:古文書
宇多須神社文書

宇多須神社文書の詳細
所在地 金沢市東山1丁目30-8 宗教法人 宇多須神社
市指定文化財 平成30年10月1日指定

 宇多須神社は、養老2年(718年)に多聞天社として創建されたのを始まりとしています。慶長4年(1599年)に、2代藩主前田利長が卯辰八幡宮を建立して以後は、藩祖利家の神霊を密かに祀り、藩主の祈祷所として崇敬を集めました。明治6年(1873年)には旧金谷御殿の跡地に創建された尾山神社に利家の神霊を遷座し、同33年に宇多須神社と改称しています。
 加賀藩の神社統制は、寺社奉行を頂点に、加賀・能登・越中ごとにいくつかの組に編成し、触頭と呼ばれる神職が寺社奉行のお触れを配下寺社へ伝達するという仕組みをとっていました。卯辰八幡宮の神主である厚見氏は、慶安元年(1648年)には触頭として、白山社人を除く石川・河北郡の神職を支配していたことが分かっています。
 本神社が所有する文書類384点のうち242点については、平成8年から11年にかけて文化庁文化財保存事業費の補助金を受けて金沢市教育委員会によって調査された『加賀藩寺社触頭文書調査報告書』に、「宇多須神社文書」として目録がまとまっています。これらは江戸初期のものから現存しますが、ごく初期のものは写しが多く、原本では寛永頃の正月22日付宇多寸〔ママ〕神主紀伊守充奥村摂津守折紙が最も古いです。藩主前田家からの祈祷依頼状、寺社奉行からの達の類がよく残り、とりわけ境内地や野町神明社における町方の相撲・曲芸・からくり・浄瑠璃などの興行を許可した達の多さは、城下町金沢の祭礼の賑わいを彷彿とさせます。また、「星祭」の名で執行されてきた神事が、王政復古によって「名越祓」と改称されたことなども知られます。
 目録に収録されていない142点の文書の中では、文禄3年(1594年)7月17日の豊臣金直従五位下備前守口宣案が最も古く、このほかにも叙任に関する宣旨や口宣案の類が多く残ます。また、3代藩主利常からの祈祷に関する礼状や、厚見氏を触頭に任じる申付状など、藩との関わりを示す文書も多く、いずれも重要なものです。
 宇多須神社文書は、当社と藩主前田家とのつながりを示し、藩政時代の加賀藩の寺社統制のあり方を知るうえでも極めて高い価値があります。

筆で書かれた前田利常印判状 (金沢八幡神主札并塩引一尺之儀)の写真

前田利常印判状 (金沢八幡神主札并塩引一尺之儀)

筆で書かれた三州神職触次申付状の写真

三州神職触次申付状

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