旧竹沢御殿の時鐘

有形文化財 美術工芸品:歴史資料
旧竹沢御殿の時鐘(きゅうたけざわごてんのじしょう)

旧竹沢御殿の時鐘の詳細
所在地 金沢市小立野4丁目4番4号 宗教法人天徳院
金沢市笠市町2番47号 宗教法人本願寺金沢別院
市指定文化財 平成27年2月12日指定

 この時鐘は、文政6年(1823年)に行われた加賀藩の時刻制度の改革にともなって造られたもので、時刻制度の改革を示す、数少ない物証です。
 改革に際し、12代藩主斉広の隠居所である竹沢御殿に時鐘所を建設し、8月4日から新しい制度による時鐘を撞く予定でした。しかし時鐘の製作は失敗が続き、8月4日からしばらくは、時鐘所に城鐘を移して鐘を撞きました。
 新しい時刻制度は、藩士であり科学者であった遠藤高のりが、日時計を用いて正午を計り、1日の時間を計算して12等分し、加賀藩独自の振り子時計を用いて時刻を計るというきわめて精度の高いものでした。しかしこれまでの時刻制度(加賀藩では、目分量と和時計を用いて1日を13分割していました)との差があまりにも大きく、不評であったため、斉広が死去した後の翌年12月には新しい時刻制度は廃止され、時鐘所も文政10年(1827年)に廃止されます。時刻制度は文政8年(1825年)5月に一日を13等分したものに改正され、これが明治6年(1873年)1月の太陽暦採用まで続きます。
 新しい時鐘は結局、9月に北村重兵衛国重が、10月に村山四郎兵衛正久が1口ずつ納品しました。2人とも穴水町中居の流れをくむ鋳物師で、どちらの鐘も総高220センチメートル・口径120センチメートルを越える、県内最大級の巨鐘です。
 鐘の外面は襷文(たすきもん)で縦4つに区画されており、1区画には製作者の名と製作年月が記され、残り3区画には藩士であり歴史学者であった富田景周(とだかげちか)が、中国・日本・加賀藩での時刻制度について記した漢文が記されています。
 北村製作の鐘は、竹沢御殿鐘楼、同正門脇を経て、斉広死去後に菩提寺である天徳院に寄贈され、今に至ります。
 村山製作の鐘は、竹沢御殿鐘楼、城内権現堂を経て、明治に金沢町公会堂、紺屋坂に置かれ、昭和21年(1946年)に本願寺金沢別院に寄贈され、今に至ります。

天井に吊り上げられている天徳院所蔵の時鐘の写真

天徳院所蔵 時鐘

竹を組んで出来た柵の中にある本願寺金沢別院所蔵の時鐘の写真

本願寺金沢別院所蔵 時鐘

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