(国指定)加越国境城跡群及び道
記念物 史跡:加越国境城跡群及び道(かえつくにざかいしろあとぐんおよびみち)
- 【所在地】金沢市松根町レ5番ほか
- 【国指定史跡】平成27年10月7日指定
- 【指定面積】約11.6ヘクタール(金沢市:約11.5ヘクタール、小矢部市:約0.1ヘクタール)
加賀国と越中国を結ぶ国境の街道にはいくつもの山城が築造されていました。その歴史的背景は、織田信長亡き後の天下統一へ向け、天正12年(1584年)、羽柴秀吉と敵対した織田信雄(のぶかつ)・徳川家康連合軍が尾張の小牧・長久手で争ったことによります。前年の賤ヶ岳(しずがたけ)合戦の後、秀吉に降伏することで越中に留まった佐々成政は、これを機に反秀吉へと方針転換し、秀吉方の前田利家と敵対しました。加越国境城跡群は、この時期に築造もしくは改修された城跡群と考えられます。
今回指定されたのは、切山城跡及び松根城跡とそれらを繋ぐ小原越です。
切山城跡は、越中側に大きな堀を設けていることから、越中の佐々方の攻撃に備えた前田方の城である可能性が高く、逆に松根城跡は加賀側に大きな堀が認められることから、佐々方の城と考えられ、小原越を通じて対峙しています。
両城跡の年代は、城の形や出土遺物、古文書などで、天正12・13年にほぼ限られることから、これまで後北条氏や武田氏の築城技術の系譜上に成立したとされていた虎口(こぐち)(出入口)の構造変化が、織田・豊臣の武将が築造した織豊(しょくほう)系城郭において独自に成立する過程が把握された希有な事例となり、近世城郭の成立過程を知る上での標識遺跡になると評価できます。
城と道の関連については、城の堀によって小原越が切断されていることが明らかになりました。これは、城が街道を戦時封鎖していることを遺構で確認できた初めての事例であり、城郭史研究における新たな視点を示すと共に、当時の加越国境における緊迫した状況を伝える重要な遺跡群と評価できます。

切山城跡

松根城跡

切山城跡 現況(南側の切岸跡と横堀跡)

小原越 現況(ドンバ峰地区)

松根城跡 調査風景(西端の大堀切跡)
パンレット
松根城 地図情報
所在地
金沢市松根町(松根城)
金沢市埋蔵文化財調査年報
平成25年度 調査年報(小原越 抜粋) (PDFファイル: 1.5MB)