Pick Up 妙立寺(忍者寺)

ピックアップ紹介

A 妙立寺の歴史 History

茶色の木で造られた壁と瓦の屋根で出来ている家のような建物が写っている写真

祈願所から始まった
前田利家公が金沢城内に設立した祈願所を、三代目前田利常公が金沢城近くに移築建立したのが1643年。幕府の加賀征伐に備えて山城の役割をもたせた寺院群を寺町台につくり、妙立寺はそれらの監視所として1659年に現在地に移築されました。その後も歴代の藩主は己の命運と、庶民の安穏を祈願し妙立寺を崇めました。藩主が庶民に気づかれずに、お忍びで詣るための隠し拝殿が、本堂内に中二階のような形で設けられています。

B 複雑な構成 Complicated construction

右側に床が赤色絨毯が敷いてある階段、奥に障子が見えている室内の写真

“段”による複雑な構成
29の階段は、堂内の動線を複雑化させています。床板を外すと落とし穴となる階段、引き戸を錠のように利用した床下階段、押し入れ内の壁裏隠し階段等、目を見張るものばかりです。蹴込み部分に障子がはられている階段は、外部から忍び寄る外的の足の影を見て、内部から槍で突き刺すためのものでした。

C 加賀望楼 Kaga bouro

瓦で出来ている三角屋根の頂上にあるガラス張りの突端部分が写っている写真

見張り台の役割
本堂の屋根のアクセントである屋根突端部のガラス張りの望楼。見張り台の役割を持ち、金沢城へ光による通信も可能だったそう。望楼へは、庫裏の三階にある茶室“霞の間”から長井階段通路を経てゆきます。本堂と庫裏が一体となった、前衛的な数寄屋建築として評価されています。

D 四階七層二十三部屋二十九階段 4floors 7tired 23rooms 29stairs

手前は木で覆われ、奥には瓦の屋根や窓ガラスのある大きな屋敷が見えている写真

複雑な建築構造
“正久山 妙立寺”人呼んで“忍者寺”。その由来はその複雑な建築構造にあります。創建当時、幕府によって三階建て以上の建築は禁止されていました。しかし本建築は2階建ての外観でありながら、内部は四階建てで七層にも分かれ、23の部屋と29の階段が迷路のように入り組んでいます。堂内に散在する落とし穴や隠し階段等の忍者屋敷のような多くの仕掛けは、幕府や攻めて来た外敵の目を欺くためのものでありました。

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