あゆみ

はじめに

金沢市は、石川県のほぼ中央に位置し、市の中心部を流れる犀川、浅野川に挟まれた高台に位置する金沢城址を囲むように市街地が展開しています。
また、四百年余の長い間、戦禍に見舞われることがなく、藩政時代から脈々と培われた伝統的な文化や芸能、古い家並み、土塀をめぐらした武家屋敷跡など、城下町の面影を今に残す貴重な遺産を数多く残しています。
金沢市における区画整理事業は昭和3年の金沢市彦三地区の大火による火災復興事業を最初とし、その後、戦時中および戦後の混乱期において事業はいったん休閑期を迎えるものの、昭和30年代中頃から徐々に新市街地において小規模な区画整理事業が始まりました。
そして、昭和45年の都市計画法の改正に基づく、いわゆる「線引き制度」の創設以降、同年に組合土地区画整理事業に国の補助金制度が導入されたこともあって、事業の規模、件数は飛躍的に増大しました。
人口増などに伴う線引き見直しの都度、市街化区域およびその周辺地域で組合施行による区画整理事業が盛んに実施され、この結果、平成30年3月末現在で市街化区域の約46%が、また都市計画道路も平成30年3月末現在で現在整備済みの約52%が区画整理事業により整備されています。
近年においては、新市街地の整備に取り組むことのほか、新たな問題として空洞化が進行している中心市街地についても、都市の再生を図るための様々な整備手法の導入可能性が検討されています。

区画整理のあゆみ

昭和30年代~昭和40年代前期

戦後の疲弊した経済力に加えて、金沢市は非戦災都市であるがゆえに戦災復興法の適用外となり、都市基盤整備推進のための財源に苦慮することとなりました。
そこで、民間の土地資本を利用しながら広範囲な面的整備を実現することのできる組合施行区画整理事業方式の導入に道を求め、昭和30年代前半より区画整理事業による新市街地の整備が徐々に始まりました。
この時期の平均施行面積は10ヘクタールと小規模なものでしたが、昭和40年代に入ると平均施行面積が21ヘクタールと次第に広域化し、減歩率は30%以上、道路率は20%以上であることが通例化していきました。
その他、昭和32年に金沢市土地区画整理助成金交付規則が制定、昭和40年に市の指導及び助成体制強化のため、金沢市土地区画整理協会(現 公益財団法人 金沢まちづくり財団)が設立され、行政の財政的、技術的な援助のもとで組合施行による区画整理事業が推進されていきました。

昭和45年~昭和60年代

昭和45年、全国で3番目となる市街化区域の線引きを行った際、地元全員同意による組合区画整理事業の施行を条件に、新規に開発すべき住宅地としてスプロール化のおそれのある区域約1,000ヘクタールを市街地周辺に設けました。
この地元全員同意による円滑な事業運営という方針は、現在でも金沢市の組合区画整理事業推進の基本方針になっています。
また、昭和45年に組合区画整理事業に対する国庫補助金交付制度が定められたことにより組合区画整理事業の施行面積はさらに大型化し、件数も飛躍的に増加しました。
結果として、この区画整理事業は新市街地面積の約半分に導入され、50年という短期間に倍増した都市規模に対して質、量の両面にわたり、一定以上の都市基盤整備を実現した推進力となりました。

平成以降~

市街地外縁部における都市基盤整備が区画整理事業により推進されていく中、住民の生活環境に対するニーズの高度化・多様化により、個性的で魅力ある都市空間の形成を図ることが求められるようになり、「魅力ある新しい街づくり事業補助金」(平成2年本市制定)による個性と潤いのあるまちづくりや、住民の発意による地区計画制度が導入されるようになりました。
このように、金沢市では区画整理事業によって、良好な住環境が形成され、あわせて環状道路網をはじめとした幹線交通網などが整備されてきました。その一方で、人口減少社会に対応したまちづくりを検討していく必要があることから、まちなかの密集市街地の再整備を進めるなど、本市の区画整理は転換期を迎えています。

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