旧町名復活・ま行

ま行一覧
旧町名 よみがな 由来 現在の町名 住居表示の実施 備考
又五郎町 またごろうちょう 加賀藩士、横山又五郎政賢の邸地があったので、明治5年、この名がついた 材木町 昭和41年2月1日 なし
松本町 まつもと
ちょう
文政6年(1823年)川上新町から立町された。地子町の一つ。川上新町から立町された八町の一つ 城南2丁目、
菊川1・2丁目、
野町5丁目
昭和39年4月1日 なし
大豆田新町 まめだしん
まち
持筒足軽の組屋敷地であった。町名はかつて大豆田村地内にあったことによる。明治4年町名となった 大和町 昭和41年9月1日 なし
大豆田町 まめだまち 石川県大豆田村の地で町立てが行われたことによる。地子町の一つ 長土塀3丁目、
大和町
昭和40年9月1日/
昭和41年9月1日
なし
水車町 みずぐるま
まち
藩政初期、松任から来た油屋が用水に水車をかけて灯油などの製造を行ったことから、この名がついた。地子町の一つ 小橋町、元町2丁目 昭和41年9月1日/
昭和50年2月1日
なし
味噌蔵町間の町 みそぐらちょうあいのまち 藩政初期に軍用の味噌蔵が建てられていたところから、この名がついたという。味噌蔵を冠した町は六町あって、その一つが当町である 兼六元町 昭和41年2月1日 なし
味噌蔵町片原町 みそぐらちょうかたはらまち 藩政初期に軍用の味噌蔵が建てられていたところから、この名がついたという。味噌蔵を冠した町は六町あって、その一つが当町である 大手町、
尾張町1丁目
昭和41年2月1日/
昭和45年6月1日
なし
味噌蔵町上中町 みそぐらちょうかみなかちょう 藩政初期に軍用の味噌蔵が建てられていたところから、この名がついたという。味噌蔵を冠した町は六町あって、その一つが当町である 兼六元町 昭和41年2月1日 なし
味噌蔵町下中町 みそぐらちょうしもなかちょう 藩政初期に軍用の味噌蔵が建てられていたところから、この名がついたという。味噌蔵を冠した町は六町あって、その一つが当町である 大手町、兼六元町、橋場町、
尾張町1丁目
昭和41年2月1日/
昭和45年6月1日
なし
味噌蔵町東町 みそぐらちょうひがしちょう 藩政初期に軍用の味噌蔵が建てられていたところから、この名がついたという。味噌蔵を冠した町は六町あって、その一つが当町である 兼六元町、橋場町、材木町 昭和41年2月1日 なし
三構 みつがまえ もと高厳寺前といったが、これを光岩寺とも書き、のちに光岩前を略して「みつがんまえ」と呼んだことからこの名がついたといわれる 芳斉1・2丁目 昭和40年9月1日 なし
南石坂町 みなみ
いっさかまち
文政6年(1823年)石坂町の南にあったことで通称が町名となった。地子町の一つ 野町2丁目 昭和42年9月1日 なし
南町 みなみちょう 佐久間盛政が城主のころ城の南にあったので、この名がついた。文禄元年(1594年)この地に移転したが、寛永十二年の移転説もある。本町の一つ 高岡町、
香林坊2丁目、
香林坊1丁目、
尾山町
昭和40年9月1日/
昭和41年2月1日
なし
南長門町 みなみ
ながとまち
加賀藩士、山崎長門の邸地があったところから、はじめは長門町と呼ばれていた。文政6年(1823年)、長門上ケ町が町立てされた。長門上ケ町は、文政6年(1823年)改称され、南長門町になった 片町2丁目、
中央通町
昭和40年9月1日 なし
元車町 もとぐるま
まち
藩政初期、大豆田用水に水車を設け灯油を製造したところから、犀川油車、油車町とも呼ばれていたが、のち、この名がついた。地子町の一つ 長土塀2・3丁目 昭和40年9月1日 なし
木綿町 もめんまち かつて木綿問屋が居住したことによる。地子町の一つ 東山1・2丁目 昭和41年9月1日 なし
桃畠町 ももばたけ
まち
もと泉野村の地で藩政期に桃の木が多く植えられたので桃畠と呼ばれたという。また、古くからこの地に桃畠があったからともいわれる。のち、民家が建ち、明治4年町名になった 野町3丁目、
弥生1丁目
昭和42年9月1日 なし
森下町 もりもとまち 藩政初期、森下村の郷士、亀田大隅の子孫が染工になって居住していたので、この名がつけられた。本町の一つ 東山1・2・3丁目、森山1丁目 昭和41年9月1日 なし

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