柿木畠だより
まちの歴史・特色
金沢城西外惣構堀(奥に見えるのは金沢21世紀美術館)
柿木畠町内の様子
柿木畠は藩政時代からある町名で、まちの真ん中には、藩政期に築造された金沢城西外惣構堀が、現在も水を湛えており、飲食店を中心とした活気ある商店街のなかに、歴史的風情とうるおいを醸しだしています。火事が多かった藩政時代に、火除けとして植えた柿の木は、宝暦8年(1758年)当時のの金沢町絵図では、150歩ほど(約500平米)の畑として見ることができますが、宝暦9年(1759年)の大火災により、すべて消失してしまいました。
それ以後、旧柿木畠では、由緒ある柿の木の姿が見られなかったのですが、柿木畠復活を契機に、地元商店街は、「柿の木」を「まちの木」として、町内の各所に植え、まちの緑を演出しております。
ちなみに、火除け地に植えられた柿の木は、飛鳥時代の歌人で、万葉集で名高い「柿本人麻呂(かきのもとのひとまろ)」をもじり、「柿の木のもとでは火が止まる」と昔の人々は信じ、それに因んだといわれています。
復活後のまちの様子 まちづくり活動の紹介
柿まつりでの「柿木太鼓」
オリジナルマップ「21世紀ロード柿木畠ご案内マップ」
平成17年1月に市長と協定締結を行った柿木畠まちづくり計画「21世紀・『柿木畠』にぎわいのまちづくり協定」に基づき、「全世帯が参加する良好なコミュニティづくり」を目標に、様々な取組みを行っています。
平成5年から毎年、開催している「柿まつり」において、地域一体となって町名復活を祝い、その際には柿木畠の伝統芸能である「柿木太鼓」が、元気な音を町内に響かせています。
また、平成16年10月9日に開館した、金沢21世紀美術館とも連携し、美術館入館者を対象としたサービスの開始や美術館と柿木畠商店街の情報を一体化したオリジナルマップを作成するなど、美術館に訪問した人が、柿木畠にあふれ、気軽に食事や買い物が楽しめるよう、工夫を凝らしたもてなしにも取り組んでいます。