観音町だより2
まちの歴史・特色
観音町は、元和2年(1616年)に、三代藩主前田利常夫人(二代将軍秀忠娘・珠姫・天徳院)の発願により、現在地に「卯辰山観音院」として、造営されたことによるといわれ、後、浅野川大橋詰広見から観音坂下まで、幅3間の直道に改修され、観音町の名が定まったとされています。
浅野川大橋交番横から観音院へと続く観音町通りは、町家様式の建物が軒を連ね、歴史ある町並みの中に、人々の生活の息づかいが色濃く感じられます。観音院では、参拝すると4万6千日分の御利益があるとされる「四万六千日」の行事が有名で、多くの参拝者で賑わいます。この時期には、通りの民家や商店に「四万六千日」の特色ある張り紙がいくつも貼られ、夏の風物詩となっています。
新幹線開業に伴い、市内には多くの観光客が訪れ、活況を呈しています。そんな中でも、観音町界わいは歴史ある町並みの保全と良好な住環境を維持するため、金沢市と「まちづくり協定」を締結するなど、地域一体となって、金沢らしいコミュニティによるまちづくり活動を推進しています。