金石味噌屋町だより
まちの歴史・特色
旧町名の標柱
味噌屋町のまちの様子
金石味噌屋町の由来にかかる文献等は、現在のところ、見つかってはいませんが、藩政時代、「味噌」は日常に欠かせない調味料であり、特に、港に出入りする内外の舟人にとっても重要な調味料でした。金石港にほど近い味噌屋町には、藩政初期に「味噌」を商う有力な商人がいてもおかしくはなく、町名はその名残ではないかと推測されます。
毎年、金石地区の祭りである夏季大祭の際には、旧町名を冠した山車が数多くまちを練り歩きますが、味噌屋町の山車は、その中でもひときわ大きく、立派なものです。
現在、町内には、専長寺、正林寺、妙玄院といった歴史と由緒ある古刹があり、また、町の両側には、いくつもの街路樹や昔からの細い小径が脇に伸びるなど、金石味噌屋町は、金石らしいまちの佇まいが感じられるまちです。