南町だより

まちの歴史・特色

レトロな建物が並びその前の道路を車が走っている南町の風景の白黒写真

昭和初期の南町の風景(金沢市玉川図書館蔵「金沢市写真帖」)

歩行者天国の道路にたくさんの人達が集まっている写真

「金沢ゆめ街道」

南町は、藩政期以前に「一向宗」が金沢御堂(現在の金沢城本丸跡がその遺跡であるといわれている)を拠点に寺内町を形成した永禄年間(1558-70年)にできたといわれる、金沢において、最も古い町のひとつです。
町名の由来は、当時は、金沢御堂の南側にあったことに因むといわれ、現在の位置については、文禄元年(1592年)頃からの金沢城拡張に伴って、現在の場所に移転したという説と、寛永12年(1635年)の大火を契機に町々が内惣構堀の外に移され、南町も罹災し移転したとの2説があります。
藩政時代初期から本町の一つに位置付けられ、当時の地図をみると、多様な商人が多数軒を連ね、その他、職人や上方の商人宿などもあったことから、経済活動が活発であり、他地域との交易や交流の中核であったことがわかります。
当時のまちの特色は連綿と続き、明治20年から25年には第一国立銀行金沢支店(現・日銀金沢支店)の設置を経て、現在、200を超える事業所が本・支店を構える金融街およびビジネス街であり、北陸経済の中心として栄えているまちです。

復活後のまちの様子 まちづくり活動の紹介

下が白色で「南町」「南町大通り」と書かれ上が赤のオブジェのアップの写真

「南町大通り」のオブジェ

店舗のショーケースがライトアップされたオフィスアートの写真

「金沢アートプロジェクト/秋のオフィスアート」

南町は、「南町通り商工会」が中心となって、平成17年4月から、「南町ブランドの再生」によるまちの活性化を図ろうと、旧町名復活の検討を始め、平成18年1月の「南町町名復活準備委員会」設置を経て、平成19年7月に復活を決議し、平成20年11月に復活を果たしました。
南町は、最近では、「まちなかアート」に市と協働で取組み、平成15年(2003年)から始まった「金沢アートプロジェクト/秋のオフィスアート」において、国道157号沿いのオフィスビルのショーウィンドウに、約1ヶ月間、学生による自由な発想で制作した作品を展示し、「魅力的な歩行空間」、「まちなかの憩いの場」を演出しています。
こうした地域貢献活動を通じて、事業所同士によるコミュニティのもと、まちなかの活性化や賑わい創出に取組み、さらに、アートやファッションという新たなまちの付加価値をもって、「南町ブランドの再生」を目指しています。

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