飛梅町だより

まちの歴史・特色

真横から一直線に流れる用水路を写した写真

飛梅町地内を流れる辰巳用水

緑に囲まれた旧・民俗文化財展示館の入り口から全体を写した写真

金沢くらしの博物館(旧・民俗文化財展示館)

金沢城の東側に近接し、藩政期に築造された辰巳用水が町内をせせらぐ飛梅町は、江戸時代に、前田美作守家中と呼ばれていた地域で、当時の町絵図にも描かれています。前田美作守は、安政3年(1856年)には、一万八千石を拝領した重臣でした。
明治3年(1870年)に創設された小立野小学所は、明治32年(1899年)に石川県立金沢第二中学校として町内に建てられました。石川県立第二中学校は、その後、「紫錦台中学校」と名前を変え、隣地に新校舎を建て移転しましたが、旧校舎は、昭和53年から金沢市民俗文化財展示館(現「金沢くらしの博物館」)として生まれ変わり、現在も利用されています。
「金沢くらしの博物館」の建物は、屋根に三つの尖塔があるところから『三尖塔校舎』の愛称で市民に親しまれ、また、明治の西洋風木造学校建築様式を残す貴重なものであることから、昭和49年に金沢市の文化財に、平成11年には石川県の有形文化財の指定を受けました。町内には、明治18年(1885年)建学の北陸学院中学校・高校もあり、飛梅町とその周辺は文教地区となっており、江戸や明治の文化の香りが漂う閑静な住宅街となっています。

復活後のまちの様子 まちづくり活動の紹介

男性2名と巫女さんが植樹を行っている写真

太宰府から寄贈された梅の植樹式

全体が緑色で「飛梅」と書かれたサインの前に赤や黄色の小さな花が咲いている写真

金沢くらしの博物館敷地内にある飛梅町のサイン

飛梅町復活を機に、町内にある紫錦台中学校は、学校新聞「とびうめ」を発行し、また、毎年開催している文化祭を「飛梅祭」と改称するなど、「飛梅町」を活かした自発的な取組みを始めています。
また、飛梅町復活を聞きつけた太宰府市・太宰府天満宮は、平成18年2月、梅の木を市に寄贈し、寄贈された梅は、太宰府天満宮・宮司と市長の手により、金沢市民俗文化財展示館(現「金沢くらしの博物館」)正面の前庭に植えられ、早春には、紅白の梅の花を咲かせています。
そもそも加賀藩主・前田家は、道真公を祖先と仰いでおり、梅の木を仲立ちに、金沢市は市祭である「百万石まつり」に、太宰府は平安時代の宮中行事を再現する「曲水の宴」に、互いを招待するなど、相互交流を深めています。

この記事に関するお問い合わせ先

市民協働推進課
郵便番号:920-8577
住所:金沢市広坂1丁目1番1号
電話番号:076-220-2026
ファックス番号:076-260-1178
お問い合わせフォーム