沿革と位置

1. 沿革

15世紀後半、蓮如は北陸地方に一向宗を布教し始めました。一向宗徒の勢力が次第に強まり、農民を中心とした信者が、加賀の守護富樫政親を高尾城に滅ぼした後、真宗本願寺を「金沢御堂」として建立しました。寺の周りに後町、南町などの町がつくられ、加賀一向宗の中心地として、金沢の街が形づくられてきました。
天正8年(1580年)佐久間盛政により金沢御堂は攻め滅ぼされ、盛政はここに「金沢城」を築きました。天正11年(1583年)盛政が賎ヶ岳に敗死した後、七尾小丸山城にいた前田利家が金沢城に入城したのが、この年の6月14日と言われています。以来、加賀、能登、越中を合わせた加賀百万石の城下町として繁栄を続けることとなりました。
明治4年(1871年)の廃藩後、金沢町となり、同22年(1889年)4月1日市制が施行され、県庁所在地として行政、文化、経済の中心として発展を続け、大正13年(1924年)以来10数次にわたる隣接市町村との合併により市街地規模の拡張を図り、今日に至っています。

2. 位置

本市は、石川県のほぼ中央に位置し、東側は白山連峰の丘陵地で富山県に、南北は1市3町に隣接し、西側は日本海に面しています。
市域は、白山山系から連なる山々を背に日本海に至り、市街地は寺町台、小立野台、卯辰山の3つの台地の間を犀川、浅野川の2つの河川が流れており、起伏に富んだ地形となっています。

位置の詳細
極東 東経 136度49分
極西 東経 136度33分
極南 北緯 36度20分
極北 北緯 36度40分
東西の距離 23.3キロメートル
南北の距離 37.3キロメートル

3. 街並みの変遷(クリックすると図面が見られます。)

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