金沢市内の先進木造事例1_画塾
木造の画塾「エムビル/金沢美大受験予備校 ルネッサンス」
つくる人、つかう人の
情熱と創意工夫が詰まった
日本初の木造ビル。
新幹線開業を機に整備・開発が進み、どんどん風景を変える金沢駅西口エリアにあって、建物が完成した2005年から変わらぬ姿で佇んでいるのが「エムビル」です。
通りに面して全面ガラス張りの5階建てで、外からも見えるM字の木が印象的。アートや美術を志す若者が学ぶ画塾だと聞けば、なるほどと納得できます。
一方でエムビルは、建築に携わる人々にとっても特別な意味を持ちます。木質ハイブリッド構造を用いた国内初の木造ビルとして、現代の木造建築のマイルストーンとなったからです。
施主として、あるいは施工者として、それぞれの思いを胸に「日本初」にチャレンジしたみなさんに、建築当時を振り返っていただきました。
―エムビルは、鉄骨を集成材で覆った部材を柱や梁に使った耐火木造ビルということで、設計時から今に至るまで注目されています。「木の文化都市」を掲げる金沢の玄関口に、こうした建物があることはすてきなことですね。まずは建築に至った経緯から教えてください。
施主の南待子さん。
待子さん 夫婦で東京からUターンし、私自身は高校美術科の非常勤講師を務めながら駅東側の貸しビルで画塾を開いていました。
そこが手狭になったこともあり、自社ビルを建てようと物件を探していたところ、こちらの土地に出会ったんです。
お隣が神社で今も緑がきれいなのですが、当時はもっと樹木が多く、駅のすぐ近くなのに森の中のような雰囲気がありました。
―日本初の技術を採用しようという発想は、どこから生まれたのでしょうか。
ヴォ・チョン・ギア氏は2006年にベトナムに帰国して自身の事務所を設立し、国際的に注目される活動を展開しています。緑を抱え込んだ建築、とりわけ竹を使ったデザインで知られています。
待子さん 建物のコンセプトについては、キーマンになった人がいます。
ヴォ・チョン・ギア君です。ギア君は今やベトナムを代表する建築家ですが、最初に出会ったときは石川高専で建築を学ぶ留学生でした。私たちはもともとタイ、ベトナムの子どもたちの就学支援をしており、その延長線上で日本で苦労するギア君を応援しようと、デッサンを教えたり、食事に招いたりしていたんです。
ギア君はとても優秀で、石川高専から名古屋工業大学を経て東京大学の大学院に進みました。そのときの指導教員が、建築・都市・土木の分野で活躍する内藤廣先生だったんです。
あるとき、東京から金沢に遊びに来たギア君に購入した土地を見せると、「とてもいい場所だ。僕が設計したいから、内藤先生に頼んでみる」と。
そこからギア君を主体に、内藤先生の人脈で各分野の専門家の方を巻き込んで、日本初の木造ハイブリッド構造に挑戦しよう、ということになりました。ただし設計については、ギア君は学生だということで、地元の設計者である長村寛行さんに依頼しました。
施主の南喜八郎さん。
喜八郎さん 「木質ハイブリッド構造を採用した耐火建築をつくりたい」と、まずは金沢市に相談したのですが、難しすぎて扱えないということで、民間の確認機関に相談することになったんです。われわれは20年ほど時代を先取りしていたんですね。
―施工を田村さんに依頼したのは、どういったご縁があったのですか。
待子さん 東大の先生方が関わる画期的な建物ですから、どこでも施工できるというものではありません。東大の大学院で建築学を学んだ田村さんなら理解してもらえるだろうとお願いしたんです。
施工を担当した株式会社田村の代表取締役社長 田村優樹さん
田村さん 誰もやってないことで楽しそうだと気軽に引き受けて、蓋を開けてみると実に大変でした(笑)。
建設業者としては、鉄骨が木の中にあるだけで普通の鉄骨造のビルだと捉えて工事に入っていきました。ところがいざやってみると鉄骨で建てていくのとはまったく違います。かといって木造でもありません。
なるほど、すべてが新しいと実感しました。一番苦労したのは、毎日朝から晩まで現場に詰めていた高橋だったと思います。
施工を担当した株式会社田村の工事部の高橋亨さん。
高橋さん 工事はとにかく難しく、相性の悪い木とコンクリートと鉄がそれぞれケンカしているといった感じでした。苦労したエピソードには事欠きません(笑)。
この建物の柱は、1~5階につながる「1本もの」です。建て方をした後、コンクリートで床の構造を作るまでは安定しません。そこで横からつっかえ棒をしたり、下から支えたり、隣にレッカーを立てて引っ張ったりと、ありとあらゆる工夫をしました。
その柱や梁がその柱や梁がそのまま、仕上げとして見えてきますから、床のコンクリートを打つ際は養生に気を使いましたし、汚れた部分は丁寧にしみ抜きしました。
手間がかかるのは覚悟の上、とにかくやってみようという気持ちでしたね。
田村さん その床のコンクリートも、工期短縮のため、設計よりも強度を上げた材料を使って3フロア同時に打設するという試みを成功させました。
建物が完成してから始まる物語もありますが、建てていく過程の物語も詰まった建物なんです。苦労もしましたが貴重な経験ができ、当社にとっても大きな財産になりました。
現場には工事期間中も全国から見学者が来ていました。構造の考え方が斬新かつ理論に裏付けされていて、それを体現するように柱と梁が織りなす景色が美しく、工事中こそ写真映えしましたね。
喜八郎さん みなさんが持ち場持ち場で知恵を出してくれました。誰一人欠けてもこのビルは完成しなかったと思います。
―日本初の建築物が金沢に誕生したのは、偶然ではなく、人のご縁も含めた必然だったようですね。 エムビル建築にあたっては新しい技術を追求する専門家の思いが先にあったと思うのですが、オーナーの立場としてはどう捉えていらしゃったのでしょうか。
エントランスの扉は鱗彫りが美しい木製。隣の神社の緑を取り込んで。
喜八郎さん 建物の用途は未来のアーティストを育てる画塾です。この構造であれば、木の柱や梁を仕上げボードなどで隠すことなく、そのまま、仕上げとして見えてきますから。木の温かみがあふれた良い雰囲気の中でデッサンができるということが一番です。
待子さん 私たちの画塾で学び、金沢美大に進学した人はこれまでに400人を超えます。デザインと美術で世の中に貢献するのが私たちの仕事ですから、建物もそうした信念にならったものにしたいという気持ちがありました。
―18年が経過しましたが、使い心地だったり、長く使っているからこそ分かる木造の良さについてはいかがですか。
待子さん 水道のパッキンとエレベーターの器具を交換したくらいで、構造体は何のトラブルもありません。
能登半島地震の際は、ここも石膏像が落ちるほど揺れましたが、建物に問題はありませんでした。
木の部分が古くなったという印象もなく、逆に時間とともに落ち着いた風合いになっていく変化を楽しんでいます。
高橋さん 私は今日、久しぶりにこちらに来ましたが、想像以上にそのままで嬉しいですね。木が割れた、空いた、というところもありません。
天井に見えている床のコンクリートの構造は、竣工時は鏡のように輝いていましたが、今も十分きれいです。
左から施工を担当した株式会社田村の代表取締役社長 田村優樹さん、工事部の高橋亨さん。施主の南喜八郎さん、南真知子さん
待子さん 先日も中を見せてほしいという建築関係の方がいらっしゃったんですが、「エムビルはもう少ししたら博物館級だよ」とおっしゃっていました(笑)。
喜八郎さん いろんなところで木造建築の事例が増えているようですが、ようやく時代がエムビルに追いつきましたね。
【建物情報】
施主:金沢美大受験予備校 ルネッサンス
建築地:金沢市広岡1丁目
用途:画塾
設計監修:内藤廣
防耐火設計監修:菅原進一
設計・監理:-architect office- Strayt Sheep 長村寛行
構造設計:桐野康則 腰原幹雄
耐火部材製作:齋藤木材工業株式会社
施工:株式会社田村
プロジェクト協力:ヴォ・チョン・ギア
竣工:2005年9月
構造:地上5階(1階/RC造、2〜5階/⽊質ハイブリッド構造)