鞍月用水

延長
約14.6キロメートル
完成年
正保年間(1644〜48年)
成り立ち
名前の由来は、鎌倉時代から室町時代に存在した鞍月庄にもとづいている。藩政初期の正保年間(1644〜48年)に改修されたという記録が残っているが、いつ頃から流れているのかは定かではない。水力を利用して菜種油を採る目的や灌漑用に造られたらしいが、当初は水量も少なかったため、犀川に堰(油瀬木の名が残る)を設け水量を豊富にしたと伝えられている。その後、一部区間は金沢城の外堀(西外惣構堀)に利用された。明治に入ると、油車町周辺では油絞りに代わり、精米・製粉用の水車が増加。昭和初期までその姿が多数見られたという。また、里見町と柿木畠の境には、用水を利用して軍用の旗や指物を染めていた茜屋があり、橋名の由来となった。さらに明治〜大正期に、中央小学校近辺では、当時全国第二の規模を誇った金沢製糸場の原動力として利用されていた。その後も、撚糸・機業・精錬業など近代工業に不可欠な存在だった。旧戸板村・旧鞍月村・旧弓取村を灌漑している。
現在
犀川上菊橋の上流右岸、城南2丁目地点で取水している。平成5年、柿木畠界隈では開きょ化・ポケットパーク整備が完了し、平成11年、香林坊〜高岡町間で、開きょ化・私有橋の整理が行われるなど中心市街地に潤いとにぎわいがよみがえりつつある。