中村高畠用水

延長
約4.5キロメートル
完成年
天正年間(1573〜92年)
成り立ち
藩政初期からある農業用水で、もともとは中村用水・高畠用水と別の流れだったが、大正7年(1918年)、取入口が1つになり、現在の名称になった。
現在
犀川桜橋の上流左岸地点から取水している。玉鉾用水・入江用水・糸田用水・東力用水といくつもに分流し、犀川〜伏見川間の一帯を潤す重要な役割を果たしている。なお、神田神社そばの神田第一児童公園には用水の水が引き込まれ、子どもたちが遊べるようになっている。
約4.5キロメートル
天正年間(1573〜92年)
藩政初期からある農業用水で、もともとは中村用水・高畠用水と別の流れだったが、大正7年(1918年)、取入口が1つになり、現在の名称になった。
犀川桜橋の上流左岸地点から取水している。玉鉾用水・入江用水・糸田用水・東力用水といくつもに分流し、犀川〜伏見川間の一帯を潤す重要な役割を果たしている。なお、神田神社そばの神田第一児童公園には用水の水が引き込まれ、子どもたちが遊べるようになっている。