長坂用水
延長
約7.4キロメートル
完成年
寛文11年(1671年)
成り立ち
旧泉野村などの開墾を進めていた押野村の十村太兵衛らが、寺町台地の灌漑を目的とし、藩命の下で着工。犀川支流の内川から取水した長坂用水を開削し、長坂新村(長坂・長坂台)を開村させ、泉野方面の生産力増強に寄与した。なお、昭和48年(1973年)に上流区間が犀川浄水場の導水路と共用になり、水路が4キロ近く短縮された。
現在
上流部の内川地区では竹林を縫うように流れ、自然のままの形をとどめている。寺町台地に辿り着いてからは、野田山墓地・大乗寺丘陵公園周辺を通り、幾筋にも分かれて流れている。