本多家上屋敷西面門跡及び塀跡
記念物 史跡
本多家上屋敷西面門跡及び塀跡 附道跡
(ほんだけかみやしきせいめんもんあとおよびへいあと つけたりみちあと)
所在地 | 金沢市本多町3丁目51-1の一部外2筆の一部 |
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市指定史跡 | 平成25年9月11日指定 |
本多家上屋敷は、加賀藩の重臣だった加賀八家本多家当主の居屋敷で、同家の家臣が出仕して家政を執り行う場でもあり、一万坪余もの敷地面積を誇りました。初代当主政重がこの地に上屋敷を拝領したのは、「本多氏古文書等」(金沢市立玉川図書館蔵)にある2代藩主前田利長から政重に宛てた書状により、慶長16年(1611年)または翌年の11月以前と考えられます。
小立野台地上に建てられた上屋敷外構えの遺構は、屋敷裏手にあたる西面に築かれた2ヶ所の門跡、石積み基礎の塀跡、北側の門跡から下屋敷地へ下る道跡およびそれに付随する2基の石垣、上屋敷南西端にあたる塀跡基壇の石垣が残っています。
宝暦大火(1759年)以前の景観と推定される『本多家上屋敷図』(金沢市立玉川図書館蔵)では、屋敷裏手の塀と石垣、現在とは逆手に開口する北側の門が描かれているのに対し、文久2年(1862年)の『上屋鋪御館惣絵図』(藩老本多蔵品館蔵)では、現在の形状に似た門と塀、石垣を確認できます。
藩政期の本多家上屋敷を知る貴重な遺構であり、金沢城下町における武家屋敷の外構え遺構を代表するものです。

門跡(奥)から道跡、上段石垣(右)

道跡、上段石垣(奥)と下段石垣(手前)
関連リンク
金沢市の指定文化財