金沢城惣構跡の調査と整備

金沢城惣構跡 (かなざわじょうそうがまえあと)の調査

掘を覆うように桜の木が伸びている様子の写真

春の西外惣構跡宮内橋詰遺構

金沢市では、江戸初期に金沢城を防御する目的で築かれた惣構跡の遺構を保護するために、発掘調査や古文書、古絵図等の調査を行っています。

1. 金沢城惣構跡の概要・歴史

掘られた地面の中に石畳の掘が見えている写真

東内惣構跡枯木橋詰遺構発掘調査全景

「惣構」とは、城下町を囲い込んだ堀(ほり)や、土居(どい)などといった、城の防御のための要害のことで、安土桃山時代から江戸時代初めに日本各地の城下町で築かれました。
金沢城には、内・外二重の惣構が築かれました。内惣構は、二代藩主前田利長(まえだとしなが)が高山右近(たかやまうこん)に命じて慶長(けいちょう)4年(1599年)につくらせたといわれています。さらに、慶長15年には三代藩主利常(としつね)の命で家臣の篠原一孝(しのはらかつたか)が外惣構をつくりました。堀の城側には土を盛り上げて土居を築き、竹、松、ケヤキなどを植えていました。
惣構の管理には、惣構肝煎(きもいり)や惣構橋番人などの町役人を配置し、堀にゴミを捨てること、土居を崩すこと、竹木を伐採することなどを禁じていました。
金沢のまちなかを歩くと、あちこちに坂道や、水路を見つけることができます。惣構は河岸段丘崖という斜面を利用して築かれていますから、こうした坂道の下の水路として市内各所に残っているのです。
金沢城惣構跡は、平成20年12月に金沢市指定史跡になりました。

2. 古絵図・古文書の調査

住宅の裏に高く積まれている石垣の写真

東内惣構跡枯木橋詰遺構土居石垣

江戸時代の古絵図を調べることにより、惣構の流路や規模、周辺の施設の変遷について調べることができます。また、堀幅は狭まっているものの水路が残っていることが多く、惣構の内・外側に沿って江戸時代以来の道路が残っているため、古絵図との対比から惣構跡の範囲を推定することが出来ます。

3. 東内惣構跡枯木橋詰遺構の発掘調査と整備

調査を基に復元された東内惣構跡の石垣の写真

東内惣構跡枯木橋詰遺構復元整備

尾張町(おわりちょう)2丁目の橋場(はしば)交差点付近で、惣構につくられた江戸時代後期の石垣をはじめて発掘調査で確認しました。古文書により、金沢城の惣構の大部分は土手だったと考えられていることから、堀の両側に石垣が築かれたことはこの地点の特徴です。堀の外側では、江戸後期から明治時代にかけて古い石垣を埋めて前面に新しい石垣を築くことを2回繰り返し堀幅を狭めています。
調査地のすぐ南側には、堀に架かる「枯木橋(かれきばし)」があります。江戸時代には、北国街道が城下町に入る東口にあたり、門(木戸)を設けて橋番人が人の出入りを管理していました。
現在、枯木橋詰の惣構遺構は発掘調査の成果をもとに江戸時代の石垣が復元整備され、往時の景観が再現されています。

4. 西内惣構跡(主計町地点)の発掘調査と整備

堀の形に添って地面が掘られている様子の写真

西内惣構跡主計町地点の発掘調査

主計町(かずえまち)地点は、堀の流水を活用した主計町緑水苑(りょくすいえん)という親水公園になっています。現在の堀よう壁の背後約3メートルの位置で、地面を素掘りした江戸時代の土居斜面を確認しました。また、17世紀中頃から19世紀前半の堀幅は約11メートルであったことがわかりました。堀が現在の幅(約2メートル)に狭まったのは明治時代初めのことです。
現在は緑水苑内に堀と土居が復元整備されており、重要伝統的建造物群保存地区に選定されている主計町のまちなみとともに、往時の景観に触れることのできる散策路として親しまれています。

5. 西外惣構跡(升形地点)の発掘調査と整備

現在はコインパーキングとなっている地点の発掘のため、重機や掘った土が置かれたブルーシートなどが見える現場の上空写真

西外惣構跡升形地点発掘調査全景

升形(ますがた)は、港のある宮腰(みやのこし)から来た往還(おうかん)道が惣構の堀を渡って城下町へ入る部分にあたります。ここには惣構の堀と土居を屈曲させて方形の閉鎖空間を造った升形門がありました。
発掘調査により、構築当初の素掘りの堀が見つかり、堀跡は周囲の市道の下まで広がっていることもわかりました。17世紀末以降、升形角部を中心とした土居側に石垣を積み、段階的に堀を埋めて宅地化しています。また、升形下流部や堀の外側では石垣を用いないで杭打ちや土留めで堀を埋めて狭くしていることもわかりました。堀幅は升形の西側で17世紀初めには約14メートルだったものが17世紀末には約6メートルにまで縮小されています。
現在は発掘調査の成果をもとに土居と堀を整備し、往時の景観を推定復元しています。

6. 西外惣構跡(武蔵町地点)の発掘調査

コインパーキングの掘られた地面の中に石垣が見える様子の写真

西外惣構跡升形地点土居側の堀石垣

惣構の堀から土居の斜面にあたる箇所での発掘調査を行った結果、17世紀末と19世紀初めに堀が段階的に埋められて狭くなっていったことがわかりました。また、土居ののり面に石垣などが見つからないことからのり面は土手だったと考えられます。また、堀の堆積土の分析から、堀の水はよどんでいて周辺に松が植えられていたことがわかりました。

7. 広坂遺跡の発掘調査

調査のため広い範囲で地面が掘られている様子の写真

西外惣構跡の土居・内道跡(広坂遺跡)

金沢21世紀美術館の南側には西外惣構の堀が流れています。美術館を建築する際に土居部分の発掘調査を行いました。堀に面して土居の盛土とその土どめ石、幅約5.5メートルの砂利道と石組みの側溝、武家屋敷の土塀基礎の石垣が約160メートルにわたって見つかりました。惣構に面したかつての武家屋敷街の景観を想い起こさせます。

8. 今に息づく惣構の流れ

時代の流れとともに、多くの土居はくずされ、堀は埋め狭められてしまいました。
しかし、その流れは現在も途絶えることがなく、市内の各所で往時の遺構を見ることができます。
惣構跡は市民の生活の場として、また憩いの場として、現在も多くの人々に親しまれ続けているかけがえのない歴史遺産となっています。

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