加越国境城跡群及び道
加越国境城跡群及び道-切山城跡、松根城跡、小原越-(かえつくにざかいしろあとぐんおよびみち きりやまじょうあと まつねじょうあと おはらごえ)の調査と整備
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1. 概要
加越国境城跡群及び道は、天正12年頃(1584年)に加賀国と越中国の境界に築かれた山城とそれらをつなぐ街道で、石川県金沢市(旧加賀国の一部)と富山県小矢部市・南砺市(旧越中国の一部)にまたがって所在しています。
これら城跡群と道は大きく次の3箇所にわけられます。
- 切山城跡及び松根城跡とそれらをつなぐ脇街道の小原越
- 高峠城跡及び荒山城跡とそれらをつなぐ脇街道の二俣越
- 朝日山城跡及び一乗寺城跡とそれらをつなぐ脇街道の田近越
これらのうち、1については平成23年度から25年度にかけて金沢市が調査を実施し、平成27年(2015年)10月に国史跡に指定されました。
2,3については、歴史的・学術的価値を明らかにするためのさらなる調査が必要であると考えています。
詳細は上記リンク先の「加越国境城跡群及び道」の箇所をご覧ください。
位置図
城跡群と道の分布図
2. 歴史
加賀国と越中国を結ぶ国境沿いの街道にはいくつもの山城、つまり「加越国境城跡群」が築造されていました。その歴史的背景は、織田信長亡き後の天下統一へ向け、天正12 年(1584年)、羽柴秀吉と敵対した織田信雄・徳川家康連合軍が尾張の小牧・長久手で争ったことによります。前年の賤ヶ岳合戦の後、秀吉に降伏することで越中に留まった佐々成政は、これを機に反秀吉へと方針転換し、秀吉方の前田利家と敵対しました。
成政は天正12年8月に朝日山城(金沢市)を攻撃した後、9月には末森城(宝達志水町)を攻めますが、いずれも失敗します。天正13年(1585年)になると、両者が国境付近への侵入を繰り返す中、しだいに前田勢が優勢になり、秀吉遠征軍の登場によって成政は降伏しました。この後、越中の西半分が利家の長男利長に与えられたことで、加越国境付近の緊張状態は解消され、城郭群は不要になったと考えられます。
加越国境城跡群は、この天正12・13年に築造もしくは改修されたと考えられる城跡群です。
3. 発掘調査
切山城跡
平成23年度に主郭、曲輪、櫓台、虎口、土塁、堀切、横堀などに13ヶ所の調査区を設定し、計約170平米の発掘調査を実施しました。
城の外部を区切る堀は、東側の越中方面に規模の大きな横堀を設けていることから、越中の佐々方の攻撃に備えた前田方が築城もしくは改修した城郭である可能性が高いと考えられます。また、城の南側に位置する林道は「小原越」と伝わっていますが、発掘調査によって横堀であった可能性が高まりました。
主郭には、馬出へ至る土橋際にて礎石建物の門跡と石敷きが、また門跡脇の土塁には柵もしくは塀の柱穴が検出され、当時の城門の姿を彷彿とさせます。
出土品では、櫓台から出土した鉄砲玉が、タイのソントー鉱山産の鉛を用いている可能性が高く、16世紀後半から17世紀前葉頃に流通していたことから、城跡の年代を示す物証の一つになります。
《指定範囲》切山城跡
切山城復元イラスト
松根城跡
松根城跡は平成24年度に発掘調査を実施しました。
まず調査に先立って小矢部市と共同で航空レーザ測量を実施しました。その結果、新たな遺構を確認するとともに、より広範囲での周辺地形の把握など、多くの成果を得ることができました。
その後、レーザ測量の成果をもとに、主郭虎口や土橋、櫓台、馬出虎口、横堀、大堀切、大堀切横の尾根筋など15か所に調査区を設定し、計約135平米の発掘調査を実施しました。
発掘調査では門跡や小原越跡、堀底、盛土跡などの遺構が確認され、前田方と佐々方が攻防を繰り広げた年代と概ね一致する16世紀後葉の土師器皿や越前焼甕、珠洲焼甕のほか、9世紀頃の灰釉陶器や13~14世紀頃の土師器皿などが出土しました。
小原越との関係については、加賀側に築造された大堀切によって切断された尾根筋で、旧小原越と考えられる道跡が見つかりました。これは、堀によって道を遮断した「戦時封鎖」を示す可能性があり、山城が軍事的に道路を切断したことを初めて確認した事例です。
《指定範囲》松根城跡
松根城復元イラスト
小原越
平成25年度に切山城跡から松根城跡の区間の小原越について重点的に測量調査を実施したほか、掘り割り道や尾根筋、松根城跡の堀切、切山城跡の推定横堀などの主要箇所において計約41平米の発掘調査を実施しました。
これらの調査の結果、現存する小原越に隣接する尾根筋に幅1メートル前後の浅い凹みの道跡が確認され、中世に遡る旧小原越はもとは尾根筋を通る道であったことが推定可能となりました。
切山城跡でも松根城跡同様に、城の築造によって道が遮断された可能性が考えられ、現在小原越と伝わる林道は城廃絶後に横堀の堀底を利用したものと推定されます。従来、城は小原越に接することで交通の掌握を行っていたと理解されていましたが、実際は道そのものを遮断して戦時封鎖をしていたと考えられます。
《指定範囲》小原越
切山城跡から松根城跡までの小原越
切山城跡から松根城跡までの小原越 (PDFファイル: 3.3MB)
4. 保存・活用計画
現状及び課題を踏まえて、国史跡「加越国境城跡群及び道」の望ましい将来像として、以下の項目が達成されるように、保存・活用を推進します。
- 羽柴秀吉と徳川家康擁する織田勢とが争った小牧・長久手の戦いの縮図となった、前田利家と佐々成政の攻防を今に留める貴重な史跡であり、将来にわたって確実に伝えていく。
- 軍事に特化した城跡と古道で構成された現存遺構を保護するための適切な管理を行うと共に、その特徴が良く伝わるように、遺構の視認や眺望確保を行い、学術的成果に基づく環境整備を実施する。
- 山間部に立地しているため、クマやイノシシなどの獣害が史跡及び来訪者に及ばないような処置を施し、保存・活用に努める。
- 高峠城跡・荒山城跡・二俣越及び朝日山城跡・一乗寺城跡・田近越について調査・研究を続ける。
5. 整備計画
基本テーマ : 加越国境に築かれた城と道 -歴史・眺望・景観を楽しむ-
切山城跡
切山城跡地区では、眺望及び城郭遺構の視認を確保するとともに、城の景観演出と古道の散策が可能となる以下のような整備を目指します。
- 主郭と北端の横堀が南に延びる高台に眺望点を設け、松根城跡及び三谷公民館方面の樹木を整理することで眺望を確保し、眺望点付近には、景観演出としてのぼり旗を設置する。
- 城内部には導線を示す遊歩道を整備し、城から北東に延びる小原越付近は下草刈りを実施する程度に留め、自然林の状態を保持する。
- 主郭で検出された門及び柵は現地復元もしくはAR・VR等によるデジタル復元を行う。
松根城跡
松根城跡地区では、眺望及び城郭遺構の視認を確保するとともに、城の景観演出と古道の散策が可能となる以下のような整備を目指します。
- 主郭と城南端の櫓台に眺望点を設け、切山城跡方面への樹木を整理し、眺望を確保し、眺望点付近及び南側大堀切の城側には、のぼり旗を設置し、景観演出を図る。
- 既存遊歩道の経路を城が機能していた頃の侵入経路に再整備する。
- 馬出で検出された門は、現地復元もしくはAR・VR等によるデジタル復元を行う。
小原越
小原越地区では、眺望を確保し、古道を散策できるような、以下のような整備を目指します。
尾根の最高点で眺望点を設け、松根城跡及び切山城跡方面への樹木を整理して、眺望を確保する。
6. 今後の予定
既に史跡指定されている切山城跡、松根城跡、小原越の史跡整備を推進するとともに、第2弾として高峠城跡、荒山城跡、二俣越の調査・研究を実施し、国史跡「加越国境城跡群及び道」への追加指定を目指します。
関連リンク
【国史跡】加越国境城跡群及び道 パンフレットは下記リンク「加越国境城跡群及び道」欄をご覧ください。