野田山・加賀八家墓所
野田山・加賀八家墓所(のだやま・かがはっかぼしょ)の調査
横山家墓所
金沢市では、野田山・加賀八家墓所の史跡指定を目指して、平成20年度から同23年度にかけて、発掘・測量・文献史料などの調査を実施しました。
1. 加賀八家とは
加賀藩では、元禄3年(1690年)以降、8つの家柄が藩の重役である年寄衆(としよりしゅう)を代々世襲しました。これを八家といい、年寄衆は八家に限って登用されたため「年寄衆八家」とも呼ばれ、現在では「加賀八家」の名称で知られています。
八家はいずれも万石以上の禄高を有する大身の家臣で、家柄や先祖の功績によって5代藩主綱紀の時に選ばれました。また、八家の当主うち4人を上限として朝廷から従五位下諸大夫に叙任されるなど、家臣の中でも別格の扱いとされていました。
八家の当主は月ごとに交代で政務の責任を受け持つ月番に就任し、当番月の場合は御用番と呼ばれ藩政全般を統括しましたが、重要事項の決定には合議制を敷いていました。
家名 |
初代 |
禄高(幕末時) |
---|---|---|
本多家 |
本多政重 |
50,000石 |
長家 |
長連龍 |
33,000石 |
横山家 |
横山長隆 |
30,000石 |
前田土佐守家(直之系) |
前田直之 |
11,000石 |
前田家(長種系) |
前田長種 |
18,000石 |
奥村家(宗家) |
奥村永福 |
17,000石 |
奥村家(支家) |
奥村易英 |
12,000石 |
村井家 |
村井長頼 |
16,500石 |
2. 野田山墓地とは
前田土佐守家墓所
野田山墓地は、金沢城から直線距離にして南に約3.5キロメートルほど離れたところに広がる一大霊園地です。野田山は標高約175メートルを測り、その山頂から山腹に広がる墓地の総面積は43万平方メートルで、東京ドーム敷地面積の約10倍の広さがあります。
3. 野田山墓地の歴史
奥村家(宗家)墓所
加賀藩藩祖前田利家(としいえ)の実兄利久(としひさ)がこの地の山頂近くに葬られたのが、野田山墓地の始まりとされています。以降歴代藩主とその正室(せいしつ)のほんんどは野田山に葬られました。前田家墓所の周囲を取り囲むように家臣の墓が造られ、のちには町人の墓も立ち並ぶようになりました。その中でも加賀八家墓所は前田家墓所にもっとも近い位置にあってその周りを取り囲むように配置されており、藩政期の職階制(しょっかいせい)と墓制(ぼせい)を示す貴重な文化財となっています。
4. 加賀八家墓所の概要
長家墓所
加賀八家のうち、6家は野田山に墓所があり、その面積は、併せて約14ヘクタールになります。八家墓所は、前田家墓所をとり囲むように配置され、北東側には長家、北側には前田土佐守家、奥村家(宗家)、横山家、西側には村井家、奥村家(支家)があります。
墓所内には、整然と墳墓(ふんぼ)や墓碑(ぼひ)が並んでいますが、各家の宗派などを反映してその形態は多様です。
八家のうち本多家は野田山墓地に隣接する大乗寺の境内に、前田家(長種系)は野町3丁目にある玉龍寺の境内に、それぞれ墓所があります。
各家の墓所の概要
家名 | 所在地 | 墳墓の概要 |
---|---|---|
本多家 | 長坂町地内 大乗寺 | 石積基壇上に板碑など |
長家 | 野田山墓地 芝山地区 | 方形墳丘墓 |
横山家 | 野田山墓地 中割地区 | 方形墳丘墓上に五輪塔などの石塔 |
前田土佐守家(直之系) | 野田山墓地 中割地区 | 方形墳丘墓 |
前田家(長種系) | 野町3丁目地内 玉龍寺 | 石積基壇上に宝篋印塔などの石塔 |
奥村家(宗家) | 野田山墓地 中割地区 | 方形墳丘墓 |
奥村家(支家) | 野田山墓地 上野地区 | 方形墳丘墓前面に笠付位牌型板碑 |
村井家 | 野田山墓地 上野地区 | 方形墳丘墓前面に五輪塔 |
5. 加賀八家墓所の詳細調査
村井家墓所
村井家墓所 金沢市では、野田山・加賀八家墓所の歴史的価値を検証する目的で、平成20年度から同23年度にかけて詳細調査を実施しました。
調査項目は墓所全体の地形測量調査に始まり、古文書調査、発掘調査、聞き取り調査など多岐にわたり、平成24年3月には調査成果をまとめた報告書を刊行しました。
調査の成果を受け、加賀八家墓所は平成25年4月11日に金沢市指定文化財(史跡)に指定されています。
加賀八家墓所の詳細は下記リンクよりご覧ください。
6.様々な人々の墓
奥村家(支家)墓所
奥村家(支家)墓所 野田山墓地には、室生犀星(むろうさいせい)、鈴木大拙(すずきだいせつ)、四世嵐勘十郎(あらしかんじゅうろう)など、郷土ゆかりの文化人や有名人の墓も数多く建てられています。
また、無名の人物の墓のなかにも、徳利と盃(さかずき)、将棋の駒(こま)、鉋(かんな)と曲尺(かねじゃく)、筆、御幣(ごへい)、象、亀など個性的な形のものがあります。
7. 野田山墓地の墓守(はかもり)と墓参
野田山墓地 参拝風景
野田山墓地では古くから近郊に住む人々に墓地の管理を依頼するということが行われてきました。そういった家は代々墓守として墓地の清掃や管理を行い、墓地の管理費を生計の一助としてきました。この墓守制度は野田山墓地の特徴として約400年の歴史があるといわれています。
お盆やお彼岸の時期になると、野田山墓地には多くの墓参の人々が訪れ、木枠に紙を貼ったキリコと呼ばれる灯籠(とうろう)を墓前に捧げます。このキリコを吊す風習は金沢独自のもので、正面には「南無阿弥陀仏」と六字名号(ろくじみょうごう)が書かれており、側面には、「献上」または「献灯」に続いて墓参した人物の名前を書き入れることになっています。