金沢城惣構跡

金沢惣構跡の図

金沢城惣構跡(かなざわじょう そうがまえあと)について

慶長4年(1599年)、二代藩主・前田利長は高山右近に命じて、金沢城と城下の防備のため東西の内惣構を、さらに慶長15年(1610年)、三代藩主・利常も同様の目的で篠原出羽守一孝(しのはらでわのかみかずたか)に命じて東西の外惣構を造ったといわれている。当時はどの堀も城側に土居を盛り、竹やぶを配していた。

そして御普請会所のもとに、惣構肝煎(きもいり)同組合頭・惣構橋番人などの町役人がいて土居・堀を見廻り、堀中にゴミを捨てること、土居を崩すこと、竹木を伐採することを禁じていた。

役割を終えた惣構の堀は、埋め立てにより狭くなり、まちなかを潤す用水として今日まで利用されている。

金沢城惣構跡の調査について

この記事に関するお問い合わせ先

歴史都市推進課
郵便番号:920-8577
住所:金沢市広坂1丁目1番1号
電話番号:076-220-2208
ファックス番号:076-224-5046
お問い合わせフォーム