坂道標柱一覧
坂道
坂道名 | よみがな | 由来説明文 | 設置場所 | 番号 |
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不老坂 | ふろうさか | 細く急な坂道であったが、明治の中ごろ上菊橋とつながり、のち拡張整備され縁起の良いこの名がつけられたという。近くに風呂屋があり、不老長寿によいというので、この名で呼ばれたともいう。 | 金沢市十一屋町2-27 | 302 |
長良坂 | ながらざか | 旧長良町へ上がるのでこの名がついた。犀川のがけふちにあり、川風が吹き上げてくるので、吹上とも呼ばれていた。 | 金沢市寺町1-8-53先 | 303 |
桜坂 | さくらざか | 慶応元年に作られ、明治25年改修された。城からの眺めをよくするため、加賀藩時代、坂の上に桜が多く植えられたのでこの名で呼ばれた。 | 金沢市清川町桜橋先 | 304 下記リンク「桜坂」の写真をご覧ください |
石伐坂 | いしきりざか | 藩政時代から坂の上に職人町があった。清立寺坂、吹屋坂、くの字坂とも呼ばれ、現在はW坂という。 | 金沢市清川町桜橋先 | 305 |
蛤坂 | はまぐりざか | 加賀藩前期に妙慶寺坂といったが、享保18年の火災後、蛤が口を開いたようになったのでこの名がついた。 | 金沢市寺町5-1-40先 | 306 下記リンク「蛤坂」の写真をご覧ください |
御参詣坂 | ごさんけいざか | 藩政時代、法島村から祇陀寺の向こうへ至る坂と、今一つ崖の下から桃雲寺手前の野田往来へ至る坂をこう呼んだ。野田山墓地に参詣することからこの名がついた。 | 金沢市法島町17-24先 | 301 |
善光寺坂 | ぜんこうじざか | 昔この付近に善光寺という寺があったのでこの名で呼ばれている。 | 金沢市小立野3-7-1先 | 308 |
亀坂 | がめざか | 加賀藩初期、この付近は深い谷であったが、戸室石をはこぶため埋めて次第に坂の勾配をゆるくした。がめ坂の名の由来は明らかでない。 | 金沢市小立野3-3-1先 | 309 |
新坂 | しんさか | 加賀藩前期、嫁坂のあとにできたのでこの名がついた。昔は、小立野新坂、笠舞新坂ともよばれた。 | 金沢市石引2-26-8先 | 310 |
鶴間坂 | つるまざか | 坂の上からの眺望がよく、加賀藩時代から詩歌を好む人が訪れ、ここを鶴舞谷と称していたのでこの名がついた。 | 金沢市小立野5丁目 | 312 |
嫁坂 | よめざか | 加賀藩初期、坂の上に住んでいた藩の重臣、篠原出羽守が、娘を本庄主馬へ嫁がせる時つけた坂なのでこの名がついた。 | 金沢市石引4-8-1先 | 311 下記リンク「嫁坂」の写真をご覧ください |
大乗寺坂 | だいじょうじざか | 慶長から元禄年間に曹洞宗の古寺、大乗寺が坂下にあったのでこの名で呼ばれている。同寺はのち長坂へ移転した。 | 金沢市本多町2-7-11 | 313 下記リンク「大乗寺坂」の写真をご覧ください |
天神坂 | てんじんざか | 椿原神社の旧社名、田井天神の横にあるのでこの名で呼ばれている。昔、坂の上部は三つに分かれていた。 | 金沢市天神町1-4 | 314 下記リンク「天神坂」の写真をご覧ください |
木曽坂 | きそざか | 木曽の山中のような幽すいな所なのでこの名がついた。その一部は宝円寺の裏門の坂なので裏門坂ともいわれていた。 | 金沢市東兼六町17先 | 315 |
馬坂 | うまざか | 昔、田井村の農民が小立野へ草刈りに行くため、馬をひいて登ったのでこの名がついた。六曲り坂ともいわれていた。 | 金沢市扇町5-21先 | 316 下記リンク「馬坂」の写真をご覧ください |
八坂 | はっさか | 昔、付近に木こりが通う八つの坂があったのでこの名がついた。のち、一つが残り、宝憧寺坂、伊予殿坂とも呼ばれた。 | 金沢市東兼六町2-37先 | 317 下記リンク「八坂」の写真をご覧ください |
広坂 | ひろさか | 坂道の幅が広いのでこの名で呼ばれているが、加賀藩時代から明治中期頃までは安房殿坂、作事坂ともいわれていた。 | 金沢市出羽町1-1先 | 318 |
小尻谷坂 | こじりたにざか | 藩政期の中ごろ尻谷坂(汁谷坂・尻垂坂等)より小さいところから、この名がついたといわれている。 | 金沢市東兼六町1-11先 | 319 |
紺屋坂 | こんやざか | 加賀藩初期に藩の御用染商、館紺屋孫十郎が坂の付近に住んでいたので、この名がついた。 | 金沢市兼六町2-1 | 320 下記リンク「紺屋坂」の写真をご覧ください |
甚右衛門坂 | じんえもんざか | 天正八年佐久間盛政の攻撃をうけたとき、本願寺方の浪士、平野甚右衛門が奮戦、討死した坂なのでこの名がついた。 | 金沢市丸の内71 | 321 |
大瀧坂 | おおたきざか | かつてこの坂の脇には、辰巳用水から台地下の田畑を潤す流れが、大きな滝のように流れ落ちていたことから、この名がついた。 | 金沢市錦町ミ13-1-2先 | 307 |
帰厚坂 | きこうざか | 加賀藩主、前田慶寧が慶応3年卯辰山を開拓したときの坂で、「藩主の厚き徳に帰する」の意味から名づけられた。 | 金沢市常盤町72先 | 323 下記リンク「帰厚坂」の写真をご覧ください |
観音坂 | かんのんざか | 観音院の門前の坂で、加賀藩初期、同院の参道として作られた。明治42年北側に新しい坂路ができた。 | 金沢市東山1-33-11先 | 324 |
子来坂 | こぎざか | 慶応3年卯辰山が開拓された時、作業に出た住民多数が子供が来るようににぎやかに登ったのでこの名がついた。今はこらい坂と呼んでいる。 | 金沢市東山1-30-8 | 325 下記リンク「子来坂」の写真をご覧ください |
暗がり坂 | くらがりざか | 久保市乙剣宮より主計町に通じる小路を指し、日中も日の当たらない暗い坂道なので、この名で呼ばれている。暗闇坂ともいう。 | 金沢市主計町3-15先 | 322 下記リンク「暗がり坂」の写真をご覧ください |