用語集
用語名 | 読み方 | 説明 |
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町地 | まちち | 商工の地域で、本町と地子町との別があり、町奉行の管轄に属していた。後に寺社門前地も含まれた |
組地 | くみち | 足軽の邸地は、その組に対して与えられたので、組地といい、それを一人当たりの宅地に支給した。三十人組・五十人組があった |
文政 | ぶんせい | 日本の元号の一つ。文化の後、天保の前。1818年から1830年までの期間を指す。江戸時代の後期 |
寛永 | かんえい | 日本の元号の一つ。元和の後、正保の前。1624年から1644年までの期間を指す。江戸時代の前期 |
山号 | さんごう | 仏教の寺院名に付与される修飾語の1つ。寺院によっては付けていない所もあり、付けている場合についても、その寺院が所在する山の名称を付けている場合と、医王山や鶴林山のように、所在地とは関係のない、仏教用語を山号として付けている場合もある |
町立て | まちだて | 一町として、正式に町名が付けられ、町奉行の管轄に入ること |
元和 | げんな | 日本の元号の一つ。慶長の後、寛永の前。1615年から1624年までの期間を指す。江戸時代の前期 |
片原町、片側町 | かたはらまち かたがわまち |
道の片側のみで形づくられた町のことで、町地の裏側が、耕地、崖、川・用水、山などがある町のこと |
家中町 | かっちゅうまち | 3000石以上の藩士には、自邸以外に藩から土地を拝領し、下屋敷と称して自身の家来を住まわせた。この人達の住んでいる所を家中の町から、「家中町」と呼んだ |
松原口門 | まつばらくちもん | 金沢城外にあった。不開門(あかずのもん)ともいった。竹田市三郎の邸が、神護寺の隣にあった時、前田利常の娘・春姫を預けておいたが、その頃、昼夜、門扉を閉じて往来を禁じたので、この名でよばれた |
掛所 | かけしょ | お寺の旅屋(寺の宿泊所)があった所 |
伝馬・馬借 | てんま・ばしゃく | 公用の荷物を運搬するものを伝馬といい、商用の荷物を運搬するものを駄馬賃といった。馬を使役して駄賃を得る馬方を馬借といった |
長柄 | ながえ | 藩主の行列に携えた鎗で、長さが2間半(4.5メートル)あった |
御小人 | おこびと | 小者と同様で、藩主の行列に茶弁当・矢箱・提灯などの運搬に当たった |
七ケ所 | しちかしょ | 町の格付けでは、本町の次に位置づけられ、夫銀(ぶぎん)が課せられた。石浦町、大工町など、7ヶ所あった。そのため、七ヶ所と呼ばれた |
本町 | ほんまち | 南町、西町、金屋町など、古い由緒ある町で、地子銀(土地に対する税)は、免除されたが、夫役(ぶやく)と役銀(やくぎん)を課せられた。町の格付けでは、最上位に位置づけられた |
地子町 | じしまち | 地子銀(土地に対する税)を払う町のことで、金沢の町のほとんどは、地子町であった |
大衆免(冠称) | だいじゅめ | かつては河北郡小坂荘に属し、大和春日神社の神領で、神宮寺という寺があった。大衆免は、この寺の大衆領で、免田(税を免除された)があったことによる |
宮越往来 | みやこしおうらい | 金石往還ともいい、金沢の広岡口から金石港を連結する5キロメートル余りの道路。元和2年(1616年)、前田利常の命で造られた。当時としては、珍しい直線道路 |
小者 | こもの | 武家の奉公人のことで、武家の門側にある長屋に居住し、門の開閉、庭園の掃除などにあたった |
別当寺 | べっとうじ | 神仏習合説に基づいて、神社に設けられた神宮寺の一種。社僧(別当)が止住し、読経・祭祀などとともに神社の経営管理を行った寺 |
神宮寺 | じんぐうじ | 神社に付属して建てられた寺院。神仏習合説に基づいて、社僧(別当)が神社の祭祀を仏式で行った |
大手 | おおて | 城の大手(正門)をいう。金沢の場合、当初、西町口、次いで、尾坂口を大手としていた。大手門のあった所をいう |
銀座役 | ぎんざやく | 加賀藩の銀座と吹座は、もと同一主任によって管轄されていた。吹座は、金銀貨の製造に当たり、銀座は、秤量・発行・鑑定をつかさどる所であった |
両側町 | りょうがわちょう | 道をはさんで、両側で一町を形づくっている町 |
上地 | あげち | 神社・仏寺または武家が藩から拝領していた土地(屋敷)を藩に返上した時に、その土地を上地といった |
町場化 | まちばか | 村地が次々にと町地に変化していくことをいう |
預所 | あずかりところ | 幕府の命により、加賀藩が預かった人の住んだ所 |