上堤町だより
まちの歴史・特色
現在の上堤町の街並み
平成20年「金沢ゆめ街道」における上堤町の交流ブース
「上堤町」は北国街道を挟んだ両側の町で、藩政期以前に「一向宗」が金沢御堂を拠点に寺内町を形成した永禄年間(1558~70年)にできたといわれる、金沢において最も古いまちのひとつです。町名の由来は、堀上げた土を盛った堤(後の金沢城西内惣構の一部)上に町地ができたことに因むといわれています。寛永12年(1635年)5月、内惣構堀の内側で火災があったのを契機に、内惣構堀の外で町割りが行われ、現在地に移されました。藩政時代初期から本町のひとつに位置づけられ、当時の地図を見ますと、多種多様な商人や職人のほか旅人宿があり、経済活動が活発であったことが伺われます。3代藩主前田利常のころには「蝋燭座(ろうそくざ)」という、蝋燭を販売する店の組合(事務所)があり、現在もその址を示す看板が掲げられています。現在も、金融をはじめ、120を超える事業所が本・支店を構え、南町とともに北陸一のビジネス街を形成しています。
復活後のまちの様子 まちづくり活動の紹介
平成20年11月 上堤町復活申し出
「堤町」歴史のまちしるべ標柱
上堤町は、平成19年秋に町の活性化を図ろうと町名復活の検討を始め、平成20年10月に町会総会において復活を決議し、平成21年11月に復活を果たしました。
平成20年の復活推進の際には、交差点の「上堤町」への名称変更や歴史のまちしるべ標柱の設置を要望したり、「ここを上堤町に」とする横断幕をビルのウインドウ数カ所に張り出したり、また、市の「金沢アートプロジェクト/秋のオフィスアート」において、上堤町町会賞として顕彰を開始したりしました。さらに、まちの真ん中を走る国道157号を歩行者天国にするイベント「金沢ゆめ街道」の際には、町会員やビルテナントの交流を図るための専用ブースも初めて設けました。復活を弾みに、こうした町会員と事業所、また、事業所同士の交流を図り、地域貢献活動などを通じて、まちなかの再生と賑わいを創るまちづくりを展開しております。